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天皇の生前退位問題で安倍政権の改憲利用が始まった! 内閣法制局が「第1条改憲必要」デマを日テレにリーク

 こうした自民党改憲草案の文脈を踏まえれば、今回の「生前退位」を巡って政府側から飛び出した“第1条違反論”もまた、明治憲法的価値観と地続きであるのは自明だろう。明治憲法において、天皇は「国の元首にして統治権を総攬」する主権者であり、政府がこれを利用することで国民を支配し、破滅的な戦争に駆り立てたことは言うまでもない。

 皮肉なことに、今上天皇は「お気持ち」のなかで、何度も「象徴」という語を繰り返し、天皇を「機能」という言葉で説明したが、安倍政権は象徴天皇制そのものを瓦解させる改憲のために「生前退位」の利用を考えているのだ。


■国民に問われているのは「生前退位」だけではない

 ただ、「生前退位」をめぐる改憲派及び安倍政権の策動は論外だとしても、この問題の背景には、わたしたち国民が、天皇制について真剣に考えてこなかったことにも一因があるように思える。

 戦後日本の民主主義、国民主権において、今上天皇がその「象徴」としての役割を考え抜いてきたことに異論を挟む者はいないだろう。だが、その務めを満足に行えなくなってきたという健康上の問題から「退位したい」という願いでさえ、天皇は制度上、自ら直接口にすることができない。これが、基本的人権の尊重と法の下の平等を謳うこの国に、はたしてふさわしいだろうか。

 学説的には天皇は国民に含まれないとする考えが一般的であり、周知のように天皇には、わたしたちが享受している権利のほとんどが制約にかけられている。たとえば世襲の問題にしても、天皇の子として生まれれば、それを運命として受け入れる他にないという、極めて残酷なものだ。

 こうした事実に関心を向けないまま、単に、天皇へのある種の敬意、あるいは人間としての同情から、素朴にその意向を叶えるという方向性は、あえて言えば、天皇制の構造的問題を先送りにしているにすぎないだろう。

 前にも書いたが、「生前退位」にしても皇室制度改革の議論にしても、本来は、主権者であるわたしたちが主導して、メディアを使った国民的議論をせねばならないことだ。しかし、国民の代表者たる内閣には天皇を再び国家元首にしようという戦前回帰的思想が蔓延し、メディアは天皇タブーに口をつぐみ、そして大多数の国民はといえば、人権とは正反対の皇室制度の本質を意識の埒外に置いている。

 繰り返しになるが、他方で「象徴」という非人間的役割を負いながら、ついにひとりの人間として発言せざるをえなかった今上天皇の「生前退位」を、改憲という政治的野心につなげようという安倍政権のやり口は論外である。

 しかし、言い方を変えれば、この状況に導いたのは、やはりわたしたち国民であり、その現状を自覚しないままであれば、「生前退位」はただ政治権力に利用されるだけに終わるだろう。いま、わたしたち問われているのは、今上天皇の「生前退位」の是非だけではないのだ。
(梶田陽介)

最終更新:2017.11.24 06:38

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