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騙されるな! 小池百合子は“女性の敵”だ! 待機児童を狭い部屋に詰め込み、女性だけに育児押しつけ、性差別丸出しの少子化論も…

 留学経験を活かして通訳やコーディネート業に就いていた小池氏がメディアの脚光を浴びたのは、『竹村健一の世相講談』(日本テレビ)のアシスタントを経て、1989年に『ワールド・ビジネス・サテライト』のキャスターに抜擢されたときだろう。この番組で財政界との人脈を広げた彼女は、92年に日本新党から参院選に出馬。このとき小池を口説いたのは細川護煕氏だが、対する小池氏も〈細川に似合うネクタイを贈ったり、そのネクタイが曲がっていると見れば辺り構わず直したり〉(伊藤惇夫「文藝春秋」2007年10月号掲載レポートより)と、甲斐甲斐しく細川氏に寄り添った。

 だが、細川氏が求心力を失うと、「あの人はダメなのよ」「殿様の限界を知らなかったのよ」と批判。3年後、細川氏が離党した際には、「もっと早く出ていってほしかった」「(ゴルフに喩えると)結局、池ポチャかOBになる人です」(「週刊朝日」97年7月4日号/朝日新聞出版)と手のひらを返してみせた。他方、同時に小池氏は、今度は小沢一郎氏と距離を縮めていく。事実、小沢氏の元側近である平野貞夫氏は「ほんの少し前までは細川のネクタイを選んでいた小池が、今度は小沢さんのネクタイや洋服を選び、マスコミへの対応について細かく教えているんですからね」(前出「文藝春秋」)と、小池氏の当時の無節操ぶりを証言している。

 しかし、小沢氏が自民党との連立を解消すると、またもあっさり小沢をポイ。そして“小泉フィーバー”の到来に合わせて小泉純一郎氏にすり寄り自民党に鞍替えすると、入党からたったの9カ月で環境相に抜擢されたのだ。このとき、ふたりは結婚説までもが流れる親密ぶりで、ときには小池氏が小泉首相に手づくり弁当を届けるほどだった。

 ネクタイを選び、弁当をこしらえ、覚えめでたく大臣にのぼり詰める。──結局、男性支配の政界でのしあがるのはそんな方法なのかと絶望的な気持ちになるが、そうした人生すごろくも、人事問題で防衛相を辞任して以降、そりの合わない安倍晋三氏が首相となったことによって頭打ちとなってしまった。

 前出「文藝春秋」の記事では、小池氏と交流のある議員が、小池氏が初当選したころ、こんな言葉を口にしていたことを証言している。

「政治家なら、誰だって権力が欲しいわよ。頂点に立たないと」

 議員になって間もないのに、すでにそのときから総理大臣の椅子を目指していた小池氏。しかし、自民党内はいまや安倍一強体制が築きあげられてしまった。完全に行き詰まった小池氏に残された道……それこそが「都知事」の座を手にすることだったのだ。

 その軌跡を踏まえれば、“自民党から圧力を受けても立ち上がった勇敢な女性”という小池評は、ちゃんちゃら可笑しい。あえて言うなら、小池氏は“寄生する権力者が国政にいなくなったから都知事に乗り換えた”だけで、ゆえに掲げる政策も、自民党イズムを継承した市民に責任を押し付けるゴリマッチョなシロモノばかりになってしまうのだ。

 だからこそ、最後にもう一度言っておきたい。小池氏は“自民党にパージされても腐敗した都政に挑むジャンヌ・ダルク”などでは決してない。ヘイト体質も、政治資金の使い方も、保育園問題など社会福祉に対する姿勢も、そして女性や性的マイノリティへの視線も、安倍自民党のそれとまったく同じであり、「反自民」というポーズはとんだ“茶番”でしかないのだ。

 清楚な山の手セレブマダムふうの見た目に騙されてはいけない。あれは仮面だ。内面はたんなる上昇志向と権力欲で膨れあがった昭和ジジイなのだということを、どうかくれぐれも忘れないでほしい。
(田岡 尼)

最終更新:2016.07.22 05:17

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