〈(少子高齢化の問題は)今時の女性が結婚に価値を見いださず、結婚したいと思わなくなったことにある。「この人の子供を生みたい」という気にならないことにある〉
〈社会心理学的には、女性はどんなに社会的、経済的に強くなったとしても、どこかで、誰かに守ってもらいたいという「シンデレラ・コンプレックス」を持つものである〉
小池氏はどんな女性も庇護されたいと思うものだと断言しているが、「シンデレラ・コンプレックス」という概念の生みの親である作家のコレット・ダウリングは、女性は自立しようとしても内面に成功への恐怖が生まれるために自立を邪魔していると指摘し、それは幻想だと看破したのだ。当然、「女はこうあるべき」という規範が社会に根強いために女性たちは“成功してはいけない”と葛藤するのであって、女性が生まれもって「誰かに守ってもらいたい」と考える生き物だというわけではない。小池氏のように「女ってこういうもの」と押し付ける人間こそが、女性の経済的自立を妨げてきたのだ。
こうした性別による差別を助長させてきた古い価値観を、小池氏は「伝統的」などと呼んで守ろうと言うのだが、もちろん、規範を押し付ける相手は女だけではない。小池氏は果たして、男性にも“強さ”を強制する。
〈ところが、最近の男性は女性化する一方で、むしろ自分が守ってもらいたいような母性愛を求める傾向が強いようだ。このすれ違いこそが女性に結婚や出産を思いとどまらせる原因となっているのではないか。つまり、頼もしい男性が決定的に減っていることこそが、少子化の最大の原因というのが小池説である〉
男はもっと強く頼もしく、女はそれに守られる存在であれば少子化にはならない。……って、これ、たんなる昭和のオッサンの説教とまったく同じ。小池氏の他の政策のトチ狂いっぷりを見ていると、都知事になったら“草食系男子版戸塚ヨットスクール”でも開く気なのではないか、と心配になってくるほどだ。無論、こうした性別による規範を強いる人間なのだから、LGBTの権利向上など語れるはずがない。ダイバーシティの意味なんて、いまだに理解できていないんじゃないだろうか。
いや、ダイバーシティを理解しないだけではなく、小池氏はきっとどれだけ自身の“マッチョイズム”を批判されようと、その考えをあらためることはないだろう。というのも、それは彼女の処世術であり、“生き方”そのものだからだ。
思えば小池百合子氏は、“政界の渡り鳥”と呼ばれるように、つねに時の権力者にぴったり寄り添ってキャリアをアップさせてきた人物だ。