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高島礼子の会見に「妻が謝罪する必要があるのか」の議論が…坂上忍、東国原英夫らは「謝罪は当然」の主張

 唯一、江川に賛同したのはパネラーでは渡辺えり。渡辺は「別人格だって思わないと、殺人犯の奥さんもおわびしなくちゃいけない、みたいなそういう感じになっちゃう」「旦那さんが15歳だったら責任あると思う。けど、51歳でしょ。だったら、自分で責任とって」と語ったが、しかし、それも坂上や土田から「では旦那さんに何かあっても謝らないのか」などと猛反発された。

 こうしたスタジオの空気に対し、江川はこう反論している。

「芸能人の行動は、報道されたり注目されたりするわけですから。それが当たり前みたいな、スタンダードになってしまう可能性がある。わたしは、それがすごく気になる。芸能人がこういうことしたからっていうんじゃなくて、連帯責任を求めるような社会の風潮がちがうんじゃないかと」

 だが、こうした江川の主張はまったく相手にされず、番組は完全に「妻も謝罪すべき」という結論のまま、終わってしまった。

 しかし、高島礼子は本当に梅沢や坂上、東国原の言うように謝罪しなければならないのか。たしかに、高島夫妻は揃って芸能界で活動するカップルだった。しかもおしどり夫婦としてこれまで多くのメディアに登場し、夫婦でドラマ共演を果たすなどある意味プライバシーを売りにしてきた芸能カップルでもある。

 しかしそれでも夫が犯罪を犯したからといって芸能人妻が公開謝罪するのが“美徳”だなんていう論理はちゃんちゃらおかしい。覚せい剤で逮捕されたのはあくまで高島の夫であり、高島ではない。家族が犯罪を犯せば連帯責任を負わされ、公開謝罪させられ、仕事さえ奪われるというのはまるで封建社会ではないか。

 しかも、一番懸念されるのは、江川も主張していたように、芸能人たちが家族の犯罪や不祥事に対して謝罪を繰り返せば、“家族の連帯責任”なるものが一般化されスタンダードになり、芸能人だけではなく一般市民にまで波及する危険性があることだ。

 いや実際、“家族に対する連帯責任主義“は既に現実となって現れている。その最たる例が2004年に起きたイラク人質事件と14年から15年にかけてのイスラム国人質殺害事件だろう。

 この際人質になったジャーナリストやボランティアなどの人質家族に対し、日本国中が「迷惑をかけたことをあやまれ」などと謝罪要求やバッシングまで巻き起こっている。彼らは人質になった被害者であり犯罪者でもなんでもないにもかかわらず、だ。

 また乙武洋匡の不倫騒動の際も妻の謝罪が“美談”として大きく賛美されたのもそうした風潮、認識からだった。

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