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『日本会議とは何か』著者・上杉聰インタビュー

「日本会議はものすごい“後ろめたさ”を抱えている」先駆的研究者・上杉聰が語る日本会議の最大の問題とは?

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『新・ゴーマニズム宣言』第6巻(小学館)、88ページより抜粋。日本会議・大阪の設立集会の翌日行われた「つくる会」シンポでほくそ笑む著者の小林よしのり氏


■日本会議を語るときに忘れられがちな「教育」問題

 日本会議の結成は1997年。元号法制化運動などを行ってきた「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」という二つの右派団体が合流してできたものだ。この1997年は、「あたらしい歴史教科書をつくる会」(以下、つくる会)が始動した年でもある。「自虐史観を払拭する」教科書の採択運動のために、藤岡信勝や西尾幹二を中心に発足した「つくる会」は、一見、保守系知識人・文化人の雑多な集まりのようだが、上杉はその背後に隠れる宗教右派の匂いと日本会議の影にいち早く気が付いていた。

「1998年の6月6日に、日本会議・大阪の設立集会が大阪市北区の大阪市中央公会堂で開催されました。私は、自分で行くことに危険を感じ、友人に集会の偵察へ行ってもらったのですが、後で報告を受けて驚きましたよ。日本会議の集会のロビーには宗教団体ごとの受付窓口があって、入手した役員名簿を見ると約4割が一目で宗教者とわかったからです。会場は1400名超の満員でしたが、その大半は宗教団体の組織動員によってもたらされたものと考えられます。そしてその翌日、同じ場所で『つくる会』のシンポジウムが行われた。参加者は1700名ぐらい。前日の日本会議の集会に、小林よしのりが来るというので若者が新たに300人くらい加わった数でした。そこで私は『両者は裏で繋がっていて、大半はほとんど同じメンツが来ているのではないか?』と仮説を立て、日本会議を調べ始めたのです」

「つくる会」創設メンバーのひとりである漫画家・小林よしのりは、このときの様子を〈当日は超大入り満員!〉〈すごい熱気なのである〉と書き、〈流れが変わり始めてるな…!〉とほくそ笑んだ(『新・ゴーマニズム宣言』第6巻/小学館)。しかし、それは本当に「時代の流れ」だったのか、上杉は疑義を呈す。

「調べていくうちに、教科書以外の集会でも日本会議に所属する宗教団体が信者を組織動員していることがわかってきた。2003年1月には、『つくる会』の主要メンバーが日本会議と協力して『「日本の教育改革」有識者懇談会』(民間教育臨調)という団体を立ち上げます。これは、教科書問題と隣接した教育基本法の改悪を目的とする組織です。東京で1200人を集めました。その中心となって全体を統括していたのが生長の家出身者です。そしてやはり、民間教育臨調の“裏の事務局”は日本会議であり、集会の聴衆も関東の宗教団体を組織動員した形跡が見られました。日本会議が宗教右翼に支えられていると確信しました。東京でも、大阪の1997年の集会と同じ構造で右派運動が作られていたんです」

 こうした研究の成果を、上杉は「『宗教右派』の台頭と『つくる会』『日本会議』」(「戦争責任研究」2003年春号)にまとめ、発表した。当時「時代の流れ」とさえ思われていた右傾化の動きが、匿名化した実働団体によって作り上げられていたことを暴露したのだ。先行研究がほとんどなく、情報の断片を集めてつなぎ合わせる作業は困難を極めたという。「宗教団体が日本会議の名のもとに集結し運動を行っているなんて、誰も信じてもらえないだろうと思っていました」と上杉は述懐する。

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