だが、同年10月に公表された議事録では、「委員長復席の後の議事経過は、次のとおりである」という説明書きが加えられ、「質疑を終局した後、いずれも可決すべきものと決定した。なお、(安保法制について)付帯決議を行った」と、本来なら委員会で読み上げられなくてはいけない付帯決議までもが議事録に記載されていた。もちろん、委員会当日のVTRを何度見返しても、鴻池委員長が付帯決議を読み上げている声などまったく聞こえない。この議事録と現実の委員会の様子が大きくかけ離れているのは一目瞭然である。
安倍首相はこの改ざん問題について、「参院の運営だから参院で決めている」と説明したが、野党は無論、この議事録に反発。合意など得られていないまま“公式発表”とされてしまったのだ。
さらに、同じく安保法制をめぐる国会審議の場で質問を行うなかで、社民党副党首の福島瑞穂議員が「戦争法案」と発言(15年4月1日参院予算委員会)したことにも、自民党は議事録修正を要求。福島議員は、「戦争法案」について〈安倍総理と私は、戦争法案という言葉をめぐって議論をしており、これを他の言葉に置き換えたら、議論そのものが成り立ちません。削除や修正要求には応ずることは、できません〉と反論し、実際に議事録には「戦争法案」の発言は修正されることなく残ったが、こうした発言の削除・修正の要求が出てくること自体が、自民党の歴史修正主義、議論を封じ込めようとする姿勢をよく表している。
このように、政権に都合の悪い話が議事録から削除され、言い換えられれば、どんな議論が行われたかはおろか、いかに醜いやり方でも法的手続きを踏んだと事実をねじ曲げられる。安保法制がそうだったように、どんな暴走だって後付けで許されていくだろう。
たとえば、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』では、歴史の改ざんを国家が主導して行い、主人公ウィンストン・スミスは議事録などの記録を体制側の都合のいいように修正する役割を負っていた。当然ながらその国には改ざんされた歴史しかなく、それが正しいものなのか検証することもできない。──このままこの国が議事録の改ざんを日常茶飯事として行うようになれば、その先には、『1984年』のような世界が待っているはずだ。
(水井多賀子)
最終更新:2017.12.05 09:58