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なぜ韓国が嫌いなのか、韓国は本当に「反日」なのか。自分の目で確かめるために韓国を自転車で走る異色ルポが

 2015年3月、「我流で学んだ怪しげな韓国語」と「20年近い付き合いのマウンテンバイク」を携え、著者は韓国・釜山に降り立つ。海沿いを走りながら、約1か月をかけて韓国を走り抜くのだ。

 「どうせ反日左翼が仕組んだプロパガンダキャンペーンだろ」「こっちこそ結論ありきの旅だな」というネトウヨの声が聞こえてきそうだ。しかし著者が目指すのは「日韓友好」などという、お題目的な政治標語の次元ではない。旅の目的には「『加害国』としての日本を再発見したい」という目的が含まれてはいるものの、「韓国側の主張をすべて受け入れて、あなた好みの日本人になるつもりは毛頭なかった」。意図されているのは、「興味を惹かれるところがあればそこに寄って、とにかくできるだけ、近くから韓国を見つめること」なのだ。

 それゆえ、現地の土地で風景に違和感を覚えたり、韓国人の振舞に反発を覚える場面も頻繁に、そして率直に描かれる。

 典型的なものは、「記念碑」をめぐる描写だ。慶尚南道から全羅南道へ渡り、そこから全羅北道へと北上する著者の目には、数々の石碑が飛び込んでくる。日本は第二次世界大戦前の1910年、大韓帝国を併合し、植民地化した。半島が日本の植民地支配下にあった1919年、朝鮮独立を求め非暴力的に行われた三・一独立運動記念碑の前で、著者は立ち止まる。「地元の歴史事実を讃え」「抗日民族精神を後代に受け継いで」――石碑には、そう記されていたのだ。「解放成って60年以上が経ち、『抗日民族精神を後代に』受け継ぐ意味はなんなのか。必要がなくてもとにかく日本に抗わなくてはいけないのか」と、著者は反発心を露わにする。

 物だけではなく、人も然りだ。晋州で屋台のおでんを食べていたときに、屋台の女性と話していると店内で飲んでいる男性から「日本人がなにしに来た、帰れ!」と怒鳴りつけられたり、旅行の最中に知り合った夫婦と和やかに会話できたと思ったら、慰安婦問題をめぐって突如話がすれ違ったり、現地では数々の感情的摩擦が勃発する。「この歴史から単純に『反日』しか学べないのだろうか」――著者の心に再び、暗い影が差す。

 韓国という国では歴史教育や公的展示をはじめ、日本への敵意を涵養する機会が随所に用意されている。このこと自体は、否定しがたい事実のようだ。しかし、真の読み所はここからだ。著者は感情的摩擦から一歩進み、「そのように感じずにいられない自分は何なのか」という心の淵まで降り立つ。

 例えば三・一独立運動の記念碑に記された「抗日民族精神」への反発は「なんだかんだ言って自国はよく書いて欲しいとするささやかな『愛国心』の表れかもしれない」と自身を諌める。

〈一部の韓国人を内心で責めていると、その矛先はすぐに自分に向けられる。「抗日」の事例を見てきてそれを「反権力」と一般化するようになった僕の思考は、逃げではないのか。(略)日韓関係にのみ縛られていたのでは、「韓国なんか絶対行きたくない。だって反日の国なんだよ」と短絡的に敬遠する人々と同じ穴の狢になってしまう〉

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