ただ、そもそも、「選抜総選挙」と称してメンバー同士を競い合わせ、それで女の子たちが苦しむ姿を見て楽しむ残酷ゲームを最大のコンテンツとしている時点で、AKB48というプロジェクト自体が「女性蔑視」的な構図をはらんだものとも言える。
また、彼の出世作のひとつであるおニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」にも〈エッチをしたいけど 全てをあげてしまうのは もったいないから…あげない〉とか〈おばんになっちゃうその前に おいしいハートを…食べて〉といった、うんざりするような表現もある。
そう考えると、「女性蔑視」は秋元康という作家がもともと本質的にもっている思想であり、HKT新曲の炎上は、たまたまそれがダダ漏れになったにすぎないということなのだろう。
しかも、笑ってしまうのは、こんな人物が「女性活躍」などというお題目を叫んでいる安倍首相に最大のブレーンとして重用され、彼のプロデュースするアイドルたちがやたら政府の広告塔に起用されている事実だ。これだけをとっても、彼らが望んでいる「女性の活躍」がどんなものなのか、よくわかるというものではないか。
(新田 樹)
最終更新:2016.04.13 07:04