主人公のあやこは、元AV女優を母にもつ少女。紗倉はAVが〈風俗と決定的に違うのは、作品として後世に残ってしまうこと〉だというが、AV女優が子どもを生み、将来子どもがその事実を知ったとき、その子はどうなるのか。親バレならぬ「子バレ」を真正面から描いているのだ。
元AV女優でシングルマザーの孝子はろくでなしの母親だ。あやこの育児は自分の母親に任せきり。かといって外で仕事をするわけでもなく、一日中ダラダラしているだけ。あげく中学生になったあやこが得意の絵で大きな賞を受賞し注目を集めたことをきっかけに、母親がAV女優だったという噂が学校中に広まり、いじめられてしまう。
母親・孝子の描かれ方は辛辣だ、しかも孝子の内面は一切語られない。なぜAV女優になったのか、言い訳も謝罪も後悔があるのかないのかも。
社会学者の鈴木涼美が『AV女優の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』(青土社)という本を出版しているが、メディア上に登場するAV女優=自分語りのイメージとは対照的だ。この元AV女優の母親が何を考えているのかは全然わからない。
ただ、喫茶店を切り盛りしながら自分をあたたかく育ててくれた祖母のことより、あやこは、このだらしない母親のほうを明らかに愛し、リスペクトしている。祖母が愛しているのも、健気な孫より、「いんらんな」娘のほうだ。
この空っぽな元AV女優の母親から、あやこが受け取めているのは、紋切り型の自分語りでは決して語られることのない何か。
紗倉がダークサイドと言ったのは、わかりやすい業界の裏側や転落話ではなく、おそらく自分もふくめAV女優たちの自分語りでも開陳されていない、もっと内面の奥に踏み込む、という意味だったのだろう。
冒頭で、これはAV女優が書いた『火花』じゃないか、と言ったが、ひょっとしたら、その文学性は『火花』より上かもしれない。とくに、4編ともラストは『火花』よりもずっと鮮やかだ。
あまりのクオリティの高さに、本当に本人が書いたのか、ゴーストじゃないのかと、詮索する向きもあるようだが、それはあり得ないだろう。AV女優をその内面も含めここまで批評的に描きながら、物語としても成立させる。文才だけでなく、紗倉の、AV女優という仕事に対する冷静な観察眼と愛情がなければ、成立しない。
おそらく、紗倉の才能をもってすれば、これからもきっとクオリティの高い小説を書き続けることができるだろう。あとは、出版社や編集者の姿勢だ。次は「AV女優の書いた小説」という安易なセンセーショナリズムに頼らない、紗倉の小説家としての可能性を引き出すような作品の発注をしてほしい。
(酒井まど)
最終更新:2017.11.24 09:35