『報道ステーション』HPより
「ニュースキャスターというのは、本当に孤独ですからね。私はいまこんな想いでいます。《人の情けにつかまりながら折れた情けの枝で死ぬ》。『浪花節だよ人生は』の一節です。死んでまた再生します。みなさん本当にありがとうございました」
昨日3月31日の放送をもって、古舘伊知郎キャスター最後の出演となった『報道ステーション』(テレビ朝日)。その最後の放送で、古舘氏は番組の終わり際、8分間にわたって、番組への思い、そして、なぜ自分が昨年末に突然の降板を申し入れたかを語った。
「私がこんなに元気なのになんで辞めると決意したのかを、簡単にお話しするとすれば、そもそも私が12年前にどんな報道番組がやりたかったかということにつながるんです。それは、実は言葉にすると簡単なんです。もっともっと普段着で、もっともっとネクタイなどせず、言葉遣いも普段着で、司法の言葉なんかじゃなく、普通の言葉で、ざっくばらんなニュース番組をつくりたいと、真剣に思ってきたんです。ところが現実は、そんなにみなさん甘くありませんでした」
「そういうなかで、正直申しますと、窮屈になってきました。もうちょっと、私は自分なりの言葉、しゃべりで、みなさんを楽しませたい。というような、わがままな欲求がつのってまいりました。12年、苦労してやらしていただいたというささやかな自負もありましたので、テレビ朝日にお願いをして、退かせてください、ということを言いました。これが真相であります」
つまり、古舘氏は、自らが目指す番組のありかたをかたちにできずに煩悶していた。そこで、2004年の番組スタートから12年間の節目をもって、テレビ朝日に降板を申し入れたということらしい。そして、古舘氏はこう付け加えた。
「世間、巷の一部でですね、なんらかの直接プレッシャー、圧力が私にかかって、私は辞めさせられるとか辞めるとか、そういうことでは一切ございません。ですから、そういう意味では、私のこういうしゃべりや番組を支持してくださった方にとっては、私が急に辞めるということは裏切りにも通じます。本当にお許しください。申し訳ありません。私のわがままです」
このように、古舘氏は「政権からの直接的な圧力はなかった」と言ったのだが、これを額面通り受け取るわけにはいかないだろう。
たしかに、たとえば官邸から古舘氏自身に直接「辞めろ」と迫った事実はないはずだ。だが、この2年弱、古舘氏は降板せざるを得ないよう、じわじわと外堀を埋められてきた。