そして、そんな数あるギャンブルのなかでも、とりわけ蛭子さんを魅了したのが、20歳のころに出会った競艇だ。
〈近くに大村ボートレース場があったので、休日になると時々、ひとりで遊びに行きました。以来、僕の人生にとって競艇はなくてはならないものとなりました。(中略)20歳で競艇デビューしてからこれまでに1億円以上は使っていると思います〉
その競艇熱は、地元・長崎で就職した看板屋を辞め、グラフィックデザイナーを目指して職の当てもなく上京した時も変わらなかった。
〈仕事はなくても競艇には行っていました。転がり込んだ板橋の成増から電車でさほどかからないところに戸田ボート競艇場があったんです。最初はほんとにちょびちょび賭けていましたが、しまいにはなけなしの郵便貯金3万円を小出しに切り崩して、開催の日は欠かさず通うようになっていました〉
この後、無事に広告代理店への就職が決まるのだが、生活も安定して賭け事のためのお金にも事欠かなくなった蛭子さんはさらにギャンブルに邁進。なんと、後に結婚することになる彼女からデートに誘われても、ギャンブルのためにその誘いを断るほどだったという。
〈彼女から日曜日にデートに誘われても、僕にはそれよりもやりたいことがありました。せっかくの休みですから、ギャンブラーである僕としてはやはり競艇やパチンコに行きたいわけです。そういうわけで、実際に何度か断ったりもしていたんです〉
それだけのギャンブル狂いは当然、作品にも強く投影されてくる。蛭子さんが漫画家として「ガロ」(青林堂)1973年8月号でデビューした作品は『パチンコ』という17ページの読み切り作品なのだが、そのストーリーは、仕事をサボり、突然やって来た義理の姉夫婦の訪問も嘘をついて逃げ、パチンコに向かう男を描いたものだった。
少年時代から大人になるまで、まさにギャンブルとともに人生を歩んできたわけだが、そんな蛭子さんは、本のなかでこのようにギャンブルへの愛を語っている。
〈僕にとって人生で最も幸せを感じる時間は、競艇に行く前の晩、布団に入る瞬間です。明日競艇場に行ってレースを予想している自分の姿を想像するのが僕の至福の時なんです。もっとも、競艇に行くと決めたら、前日はおろか前々日から朝早く目が覚めてしまうほどです〉
〈僕は多摩川競艇や平和島競艇に行くと、自慢じゃないですが、いつものヘラヘラした顔つきなんてどこかにかき消えて、目が釣り上がっていますからね。普段テレビでは見せることのない“ギャンブラーの目”に変わり、身体からは近寄りがたい殺気めいたオーラがメラメラと燃え上がっているはずです〉