そもそも、問題の答弁は、荒井議員が“受章者の多くが政治家であるが、保育士や看護師、介護士の社会地位向上のために対象者を増やすべきでは”という趣旨の質問をし、これに対して安倍首相が「有識者会議で検討を行っている」との答弁書を丸読みしたもの。荒井議員は自民党所属時の2006年、首相指名選挙では安倍氏に投票、現在でも公職選挙法改正などで首相と阿吽の呼吸を見せるなど、実質的な“安倍派”議員として知られる。おそらく待機児童問題で揺れる政権への“アシスト”として水を向けたのだろうが、「地位向上のため叙勲を」という荒井氏の発想も、それに同調する安倍首相も、激務をこなしながら満足な給与を得られていない保育士の現実がまったく見えていないらしい。
当たり前だが、叙勲は天皇の名で授与される栄典であり、それ自体給与の代替となるものではない。たとえば、森喜朗政権下で2000年9月に設立された「栄典制度の在り方に関する懇談会」は、「栄典の意義」についてこのように位置付けている。
〈栄誉の体系は国家があれば必ず存在するものであるが、我が国においては、栄典の授与は天皇の国事行為として行われることとされ、天皇と国民を結ぶ役割を果たしている。〉
〈そもそも栄典は、国家・公共への功労を国が評価し、その栄誉を称えるものであり、社会に対して、国家・公共の観点から評価されるべきものは何かを示すという役割を果たしている。〉(懇談会報告書より)
ようは、叙勲は天皇と国民との紐帯であり、かつ「国家・公共への功労」、すなわち“お国への奉仕”を評価するためだとするのだ。栄典制度やイギリスの王制を研究している小川賢治・京都学園大学教授は、社会学的観点から「栄典を授与する権力者にとっての意味」についてこう述べている。
〈権力者は、自らのへの党派的忠誠を約束する者に対して栄典を与える。また、実際に貢献を行った者に対して報償として栄典を授与する。これは、有史以来どの権力者も多少なりとも行ってきたことであるが、新しい例として、イギリスのサッチャー首相を挙げることができる。
栄典はまた権力者に資金をもたらす。自らへの資金的支持者に対して報償を与えることによって、その資金額を大きくすることが期待できる。(略)
これとは逆に、反対派を懐柔するためにも栄典は用いられる。1960年代のイギリスの労働党政権の首相ウィルソンは、反労働党派のデイリー・テレグラフ紙の所有者ウィリアム・バリーや、同じく反労働党派のエコノミスト誌の会長、ジェフリー・クラウザーを貴族に叙することによって彼らの反対を和らげようとした。〉(『勲章の社会学』晃陽書房、2009)