〈膣というものは、ことさら鍛えなくても感情を込めて相手と向き合えば、自然と男のものを包み込むように締まる仕組みになっている。締めることに気を取られてセックスに集中できないでいると、気持ちいいセックスから遠ざかるばかりか、男も離れていくだろう。
「締まりのいいアソコ」になりたいのなら、自分に正直になって思いっきり欲情し、相手を愛しいと思ってセックスをするだけでいい。すると、分離していた肉体と感情が一体になって、今よりももっと感じやすい体になるだろう〉
この「テクニック偏重」のせいで目の前の相手とつながり合うことを怠りダメになってしまうのは、男の場合も同じである。それは、一般の男性だけにとどまらない。セックスに関するプロフェッショナルであるAV男優ですらそうなのだ。
長年、アダルト業界に関わる代々木監督は、〈ある時期から男優たちが育たなくなった〉と語る。加藤鷹、チョコボール向井、太賀麻郎、日比野達郎など、かつてのAV業界には、女優以上に有名なスター男優たちが多くいたが、現在ではそのような存在は少ない。
こうなってしまったのは、アダルトビデオ業界そのものが良い意味でも悪い意味でも成熟したからだ。黎明期は、男優も女優も監督も、関わるクリエイターたちそれぞれが刺激的で挑戦的なものをつくろうとしていたが、現在はメーカーがそれを許さない。
〈守りに入ったメーカーは、法律に抵触しない範囲でめいいっぱい刺激的な作品を生み出すためのマニュアルを作成し、それに沿って撮るようになる。彼らにとって重要なのは、見た目がいい女の子を使って、マニュアルどおりに撮れるかどうかだ。フェラチオをしているときの女の子の目線までもがマニュアル化されているのだから、作家性の強い監督や個性的な男優などは邪魔な存在でしかない。だから、そういう監督は淘汰され、ある時期から男優の個性も消えていった。そして、監督の指示なしでは動けない人たちが増えていったのである〉
男優にはメーカー側から「男優は絶対に声出すな」「顔を映すな」「抜き差しだけ見せろ」という指示が飛ぶ。本のなかでは、ある男優の証言として、こんな言葉も記されている。
「多くの現場では、男優は対女の子じゃなくて、ディレクターに気が行ってる。プロデューサーの意見に沿ったり、ディレクターのOKをもらうために仕事してるようなもんなんです。だから目の前の女の子にはぜんぜん気が行かない」