このように、主戦場であるテレビ以外のさまざまなメディア、SNS、さらには舌禍や私生活のスキャンダルまで、ジャンル超えた奇策ともいえる活動を展開し、お笑い芸人としてのステイタスを上げていくというのが、山里世代のサバイバル術らしいのだ。
しかし、ラリー遠田氏は触れていないが、こうした奇襲作戦というか、越境的な挑戦がうまくいっていないケースもある。
その典型が本好きを前面に出して自ら小説を執筆、芥川賞まで受賞しまった又吉直樹と、それ以前から絵本作家として活動しているキンコングの西野亮廣だろう。
又吉がうまくいっていないというと意外に感じるかもしれない。たしかに芥川賞受賞後の又吉は『火花』(文藝春秋)が240万部を超えるベストセラーとなり、メディアから引っ張りだこの状態だ。テレビの露出も増え、扱いも格段に良くなった。
だが、その一方で、又吉はお笑い芸人としてはどんどんダメになっている気がするのだ。客も視聴者も共演の芸人も、又吉をつい「作家」として見てしまい、明らかに気を使っている状態。又吉自身も作家としてのブランドイメージを壊さないようにしているのか、冒険ができない。その結果、テレビに出ても、まったく笑えないのだ。ピースの相方である綾部が、舞台でもこれまでウケていたネタが芥川賞以降まったくウケなっていると明かしたこともある。
キングコングの西野亮廣にいたってはむしろ、絵本を描いていることが完全に逆効果になっている。13年にはニューヨークで個展まで開いたが、そういう創作活動をアピールすればするほど、「アーティスト気取り」と反感を買い、もともとジリ貧傾向にあったお笑い芸人としての人気をさらに下げるという状態が続いている。