普通の歌手であれば、この時点でそのキャリアは終了だ。バーニング側に屈服して許しを求めるか、もしくは、芸能界以外の道で食べて行く方法を考えなくてはならない。しかし、小林が起死回生の手段として選んだのはそのどちらでもなく、「ネット」に活路を見いだすことであった。
もともと小林は、紅白でおなじみの「火の鳥」や「メガ幸子」といった巨大衣装が、RPG系のゲームに出てくる「ラスボス」のような威圧感だとオタク界隈でひそかな人気があった。そのことに自覚的だった彼女は、騒動直後の12年、ニコニコ生放送に出演したのを皮切りに、ニコ動に積極的にかかわりはじめる。その年の年末には、ニコ動の年越しイベントに動画コメントの形で参加し、13年9月には、ニコニコ動画に「歌ってみた」動画を初投稿した。すると、わずか2日あまりで100万回再生を突破。これで、小林は完全に覚醒し、オタク路線を本格化させる。
13年の大みそかにニコニコ生放送で配信された『ラスボス小林幸子による年越しライブ&カウントダウン』では、VR(仮想現実)、AR(拡張現実)、プロジェクションマッピングなどの最新技術を使ったド派手な演出で観客を魅了し、番組の総来場者数は85万4946人、総コメント数は26万7167コメントを記録するなど、演歌歌手としては異例の人気を博した。
そして、14年夏には、世界最大の同人誌即売会である「コミックマーケット」に、「5884組」(こばやしぐみ)のという名で一般参加。人気ボーカロイド曲をカバーしたアルバム『さちさちにしてあげる♪』を自ら手売り販売したのだが、ファンが1kmほど並ぶ人気で、事前に用意していた1500枚は即完売になったという。この夏コミ参加は15年も続き、ミニアルバム『さちへんげ』は2時間40分で2500枚すべてを完売した。
ネットとオタクカルチャーを舞台にした再復活劇に、テレビ局もさすがに小林を無視し続けることはできなくなり、だんだんとテレビ露出も増加。そして、今回、ついに紅白復帰へと相成ったのである。
復帰の舞台で小林が「千本桜」を歌うのは、自分の復活を後押ししてくれたネットカルチャーへの感謝のメッセージであるとともに、今後もネットの世界と二人三脚で歌手としてのキャリアを歩み続けて行くという決意表明でもあるのだろう。
巷間知られている通り、いま音楽業界は未曾有の危機にさらされている。CDは年々売れなくなり、そして、紅白歌合戦や日本レコード大賞のような大型歌番組にも「マンネリ」や「事務所の力関係による出来レース」といった批判が多く寄せられるようになっている。
そんななか、「バーニングに圧力を加えられる」という、従来であれば「引退」に追い込まれても何ら不思議ではなかった状況にいたのにも関わらず、「ネット」という、旧態依然とした芸能界の力学では動かない新しいメディアを味方につけることで見事復活を果たした小林幸子。
彼女の奇跡の復活劇は、2016年以降の音楽業界にとって、何らかのヒントとなるのではないだろうか。
(新田 樹)
最終更新:2016.03.04 12:48