実際、この安倍首相の爆買いの後、版元の幻冬舎が『約束の日』の新聞広告をうち、「紀伊国屋書店新宿本店第1位」など、都内の書店で売れ行き1位であることを大々的に謳っている。
国民の税金である政治資金を使って、自分のヨイショ本をベストセラーに仕立てるとは、安倍首相もなんともせこい真似をするものだが、問題なのは、その安倍首相にウン百万円分の自著を買ってもらった小川榮太郎という人物が、「視聴者の会」を実質上仕切り、『NEWS23』攻撃を仕掛けていたという事実だ。自分は特定の政治家の恩恵を受けながら、他のメディアのことを偏向と攻撃し、会見で「私たちは政治的に中立な団体」などと言い張っていたのだから、その厚顔ぶりには呆れはてるしかない。
しかも、小川氏と安倍首相の関係はたんにたくさん本を買ってもらったというだけではない。実は、この本の出版自体が、安倍首相サイドによって仕掛けられたものだった。
そもそも小川榮太郎の名前が一般的に知られるようになったのは、この『約束の日』がきっかけ。これがはじめての著作で、文芸評論家を名乗っているがこれ以前に主要文芸誌に評論の一本も掲載された形跡はなく、「正論」や「WiLL」などの保守雑誌でも名前を見たことはなかった。
小川氏は大阪大学文学部卒業後、埼玉大学大学院へ進み長谷川三千子・同大名誉教授に師事。修士課程修了後は就職はせず、塾講師などをしながらネットなどで音楽評論などを書いていたという。そんな人物が突然、当時、下野していた元首相の「ルポルタージュ」を書くことになったのはなぜか。
仕掛人は、政治評論家の故・三宅久之氏と安倍首相の側近である下村博文前文科相だった。三宅氏は元毎日新聞政治部記者で、父・晋太郎の代から安倍との関わりも深く、下野時には論壇誌で“安倍待望論”の論陣を張るなど、安倍晋三の再登板運動を牽引してきた。下村氏については説明するまでもないだろう。
5月から朝日新聞で連載されているルポ「70年目の首相」によれば、2011年、三宅氏は、下村氏の依頼によって、安倍の総理再登板をバックアップする会を設立する。そして、この会で話し合われたのが“安倍本”の出版だった。
〈その年の7月上旬。東京都内のホテルで初会合が開かれた。安倍本人を始め、呼びかけ人の三宅や下村、評論家の金美齢、日下公人らが出席した。月刊誌の企画記事で、次期首相に安倍の名前を挙げた知識人たちに三宅と下村が声をかけて集めたのだった。
会合では、安倍を再び世間にアピールするため、「安倍さんがこの国をどうしたいかという本をもう一度書くべきだ」という意見が出された。しかし、金はこう提案する。「『美しい国へ』の二番煎じになる。本を出すなら、ノンフィクション作家が、安倍さんが1年間やったことを書くべきだ」。三宅も同調した。〉(朝日新聞15年10月2日付朝刊「70年目の首相 苦闘」第5回より)