事故以前の原発訴訟では、弁護士の間に繋がりがない孤軍の戦いだったが、脱原発弁護団の発足で、 原発問題に詳しい科学者の証人調書を全国各地の原発訴訟で共有する「水平展開」も効率よくできるようになったという。
ちなみに、原発を擁護する側の弁護士たちもチームを組んで原発訴訟に臨んでくるため、場所が変わっても、対戦する相手の弁護士側もいつも大体同じ顔ぶれで、「まるで、全国各地を巡業しながら対戦する大相撲みたい」だとか。
さて、脱原発弁護団の運動の最初の成果は、14年5月21日に福井地裁で下された、関西電力大飯原発3号機、4号機の運転差し止め判決の勝利である。判決には次のような一節があった。
「当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いとを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている」
この判決の最大の特徴は、「電気代の安さよりも、安全な暮らし」と言い切ったところにあると河合氏は評価する。
「『最大の地震動』を上回る地震が2005年以降だけでも4つの原発で5回記録されている」「福島第一原発事故が発生した」というふたつの客観的事実が重視され、「今までの基準地震動決定の手法を改めなければ再稼動は認められない」と極めて明快な判断基準で運転差し止めが命じられたのだ。
だが、この判決は仮執行宣言がついていなかったため、最高裁で判決が確定するまでは強制的な執行力はなく、再稼動ができなくもない。
年が明けて15年2月12日。高浜原発3、4号機が原子力規制委の再稼動審査をパスしたというニュースが駆け巡る。実は遡ること3カ月前の14年11月27日、大津地裁で、かねてから申請されていた高浜原発の仮処分申請が却下されていたのだが、その理由が大変“奇妙な”ものだったという。
大飯原発の差し止め判決と同様に、原子力規制委の新規制基準に疑問を呈しながらも、「高浜原発に再稼動許可が出されるとは到底思えないので、保全(運転差し止め)の必要性がない」。つまり、「すでに再稼動の許可が出ていたならば、運転を差し止めるが……」と、河合氏たちの主張を認めつつも、再稼動の判断は保留にする「半分勝利」といった判決だった。