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パリ同時テロでフジ『グッディ』が“在日外国人”をテロリスト扱い! 広がる嫌な空気と勢いづく公安、安倍政権

 同時に、安倍首相の悲願である改憲へのアクセラレーターにもなるだろう。お得意の中国脅威論もそうだが、安倍政権は国防上の不安感を過剰に煽ることで「有事の際の自衛」の必要性を説く。安倍政権がさまざまなチャンネルをつかって“憲法9条の縛りのせいで海外のテロの拠点を潰すことができない。このまま指をくわえているだけでいいのか!”というキャンペーンを仕掛ける可能性は十分考えられる。

 いや、その動きはすでに始まっている。安倍首相はパリ同時多発テロについて「いかなる理由があろうともテロは許されない。断固非難する。国際社会と緊密に連携し、テロの未然防止に取り組む」(14日)、「各国の水際対策強化などを支援し、テロの未然防止、根絶のため積極的に取り組む」(16日、G20)などと、いまにも“対テロ戦争”に参戦するかのごとく鼻息を荒くしている。

 このままいくと、仏オランド大統領による非常事態宣言を持ち出し、先日安倍首相自ら明言した緊急事態条項の新設の必要性を強調、改憲への嚆矢にしても何の不思議もない。

 公安の増長も、緊急事態条項の新設も、つきつめれば市民の生活におけるさまざまな権利が侵害・制限されることを意味する。もちろん、テロ防止の議論とのバランスは考慮せねばならないが、欧州に比べ、日本ではこうした議論が驚くほど出てこない。たとえば、テレビが“在日外国人が危険”と煽れば、公安による異常かつ杜撰な捜査体質すら許容されるし、“テロ容疑者のなかには難民に扮して入国した者がいた”と報道されれば難民受け入れの議論を完全にシャットアウトしてしまう。大局的にみれば、こうした状況は市民生活のレベルも国際的な評価も下げてしまうことになるのだが……。

 今回の同時多発テロをきっかけに、日本はさらに“お上にたてつくことを許さない社会”の色彩を濃くするのだろう。それはまず、『グッディ』がそうしたように、国内の在日外国人への偏見・差別を助長させるような放送から始まる。結局のところは、それは国家権力による締め付けを助長していることと同義だ。もちろん、放送の自由も無関係ではない。メディアはこうした状況を自覚しているのだろうか。
(宮島みつや)

最終更新:2015.11.20 07:09

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