さらに、赤川氏が憤慨するのは、この差別イラストの問題が〈国内メディアではほとんど報道されなかった〉ことだ。しかも、朝日新聞は赤川氏がこの原稿を寄稿した前日の24日、難民差別イラストを「差別か風刺か」とタイトルに記してピックアップ。了見を疑うタイトルだが、こうした問題の本質を、赤川氏はこのように突いている。
〈今、日本のジャーナリズムは世界が日本をどう見ているか、という視点に立つことを忘れている(あるいは逃げている)。安倍首相が国連で演説したことは伝えても、「聴衆が少なかった」(10月20日29面)ことには触れない。ジャーナリズムの役割を放棄していると言われても仕方ない〉
また、赤川氏は、東京新聞10月19日の第一面を紹介。それは安保法制成立から1カ月という節目にSEALDsが渋谷駅前で行った集会の写真と、米海軍のロナルド・レーガンに乗船した安倍首相の写真を並べたものだった。
〈ネットでは、戦闘機に乗り込んだ(安倍首相の)ご満悦の姿が見られた。「戦争ごっこ」の好きな子供、という図だが、現実に傷つき死んでいく兵士の痛みには関心がなさそうだ〉
赤川氏はつづけて、9月29日夕刊で取り上げられた、SEALDsの中心メンバーである奥田愛基氏への殺害予告問題を取り上げる。赤川氏はこの問題を〈これこそ、安保法に賛成反対を超えて、卑屈な言論への脅迫としてあらゆるメディアが非難すべき出来事だ〉というが、こちらも〈ほとんどのメディアは沈黙したまま〉。そして、本サイトでも既報の「週刊新潮」(新潮社)が記事にした奥田氏の父親バッシングを〈脅迫を煽っているに近い〉と批判する。その上で、赤川氏は「週刊新潮」にこう訴えかけるのだ。
〈「週刊新潮」に言いたい。攻撃しても自分は安全でいられる相手だけを攻撃するのはジャーナリズムの恥である。たまには自分を危うくする覚悟で記事を書いてみてはどうだ〉
赤川氏が危惧するのは、冒頭にも引いたように、現在の報道がまるで戦時中のように政権や政策への批判を極端に恐れているかのような空気に包まれていることである。歴史修正に加担し、違憲の法案さえ検証を怠り、戦争へひた走ろうとする政権の暴走に目をつむる。言論統制の下、大本営発表を流しつづけた戦争責任を、メディアは忘れてしまったのか──そう誹りを受けてもおかしくはない状態だ。