また、識者の声を取り上げる際も、安保反対の主張を掲載する一方で宮家邦彦のような安倍政権の代弁者のような識者も何人も登場させて、バランスをとっていた。
最近もこの朝日の安保問題に対する及び腰を象徴するような記事が掲載されて、一部で話題になっている。10月22日付朝刊のオピニオン面「記者有論」で、加藤洋一編集委員がこんな文章を書いていたのだ。
〈日本では、各種世論調査で示されているように国民の過半数が否定的にとらえている。一方、中国、韓国を除くアジア太平洋地域諸国の専門家の間では「歓迎」が大勢だ。
この違いの背景にあるのは、安全保障環境の変化に対する地域諸国の危機感と、日本への期待感だ〉
〈今回の安保法制は、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)と併せ、日本としてはあくまで米国の優位を維持して、米国主導の国際秩序の中で生きていくと選択したことを意味している。
法的枠組みができた今、日本に問われるのは、その実現のために具体的に何をするのかだ。これからまさに、法制の評価をめぐる「内外格差」と直面することになる〉
ようするに、その違憲性や国民の安倍政権が民主主義のプロセスを無視し続けたことなどは棚にあげ、海外での評価を強調することで、バランスをとり、最終的には安保法制の既成事実化を後押ししているのだ。
ただし、朝日に蔓延するこうした空気をつくりだしているのは、朝日バッシングや西村編集担当取締役による「中道路線」の号令だけではない。朝日にはもともとこうなる素地があった。
頭の悪いネトウヨや右派メディアは朝日を「サヨクの巣窟」よばわりするが、実際の朝日記者は高学歴のエリートがほとんどで、サヨク思想の持ち主などほとんどいないからだ。とくに政治部、経済部記者はほとんどが保守、新自由主義者である。
実際、朝日に頻繁にコメントを出しているある学者は「僕のところの取材に来る朝日の記者に本音を聞いてみると、半分以上は安保法制賛成だった」と語っているほどだ。
彼らの“リベラル”というのはもともとそんな覚悟のあるものではなく、過去のブランドを無自覚にまとっていただけ、あるいは営業的にそういうポーズをとっていたにすぎないのだろう。そして、一連の朝日バッシングによってそのポーズが壊れ、ただの様子見“中立病”の本質があからさまになってきた。そういうことだろう。
ネトウヨや極右メディアはそろそろ朝日を反日メディアとして攻撃することの滑稽さに気づくべきではないのか。
(田部祥太)
最終更新:2015.10.29 01:56