こうした煩雑なプロセスのなかで、日常の素行から政治活動歴に至るまで、生来日本国籍を持つ日本人であれば問われる機会もないであろう、国への「忠誠心」が繰り返し審査される。「国に尽くす気はない」が「権利だけを求めて国籍を取得する」者を仮に「偽装日本人」と呼ぶとしても、難民同様、そもそもそんなにヤワなモチベーションでは簡単に国籍を取得できないような仕組みが既に出来上がっているのだ。
さらに、繰り返しになるが、日本国籍の付与について最終的な許諾を下すのは申請当事者ではなく法務大臣であって、その権限には圧倒的な差がある。もしプロセスに瑕疵があるとすれば、非難の矛先はまず後者に向かうべきであり、審査「される」側である前者を非難するのは筋違いとしか言いようがない。
2点目の主張について、外国籍を持った他国移住者がその国の国民固有の権利を求めることのそもそも何が問題なのだろうか。日本で最初に国籍法が公布されたのは1899年だが、16条では当初、帰化者やその子孫が国務大臣・行政裁判所長官・帝国議会の議員などに就くことが禁じられていた。戦後、国会でこの規定が日本国憲法の定める「法のもとの平等」に反すると問題視され廃止となり、現在に至るという経緯がある。現在「帰化一世でも国政に立候補」できる裏側にあるこうした歴史的な重みを、イラスト作者はまったく理解していない。参政権に限らず、海外渡航なども含めた「権利」は、国籍を取得した人々にとって制度的なスタートラインに過ぎず、それ以上でも以下でもないことを指摘しておきたい。
■否定し尽くされたはずの「生活保護」デマ、ふたたび
最後に「在日は生活保護が簡単に受けられ」ても「日本人への生活保護はハードルが高くてなかなか受けられない」という、生活保護をめぐるデマについて確認したい。冒頭でも述べた通り、これは在特会などを中心に2000年代以降インターネット上に拡散する「在日特権」デマのなかで代表的なものの一つである。
この「在日特権」デマについては、既に安田浩一『ネットと愛国』(講談社)、野間易通『「在日特権」の虚構』(河出書房新社)、大沼保昭『「歴史認識」とは何か』(中公新書)などで詳細に否定されているので参照してほしい。さらに、筆者が確認する限り国内メディアのなかではこれまで、新聞媒体では朝日新聞、雑誌媒体では「FLASH」「SAPIO」が在日特権に関する検証記事を組んでいる(ほかにはWeb媒体「シノドス」に掲載された金明秀氏の記事があるが、こちらは特別永住資格制度に焦点を合わせたもの)。
そもそも、大原則として生活保護は人種や信条、社会的身分等を問わず「現在の困窮状態に着目して保護を行う」無差別平等の原理を基本とする。厚生労働省が発表する調査結果によれば受給者の4割は高齢者であり、日本人か在日かを問わず、受給の中心に存在するのは就労困難な人々であることは把握しておく必要がある。