「靖国神社での国家儀礼の確立は、神社本庁の悲願の一つです。1978年に『東京裁判』でA級戦犯を含む戦争指導者の合祀が明らかになると、昭和天皇は1975年を最後に靖国への参拝を一切行わなくなりました。今上天皇もこれまで一度も参拝していない。ですが、自民党の憲法改正草案では第1条で天皇の立場を『日本国の元首』に変更していますから、あるいは改憲後には天皇も国事行為として靖国参拝をせざるを得なくなるような形をつくることができる。当然、国の予算も割くことになりますよね。
こうして成り立つ“靖国神社の機能活性化”は、国家神道的なイデオロギーをもういちど日本国内でスタンダードにすることを可能にする効果があります。戦前・戦中の日本には、靖国神社を持ち出されるとなかなか反論できないという状況がありました。亡くなった軍人を祀るということを錦の御旗にして、それで対中侵略も正当化しましたし、『あれだけ死んでいるのに、その犠牲を無駄にするのか!』という戦死者を盾に使う論法で撤退論もはねのけることができた。戦没軍人を過剰に賛美することによって『国のために殉じた彼らに比べてお前らはどうだ』というような“脅し”の論法で、国民にさらなる奉仕や犠牲を強いることもできます。そうすれば、際限なく国の方針に従わせることもできる。その意味で、国家神道勢力にとって、靖国神社は様々な使い方ができる“効果的なツール”なんです」
このように、国家神道勢力にとって、安保法制はまだ直接のメリットにはなっていないとしても、先まで見通せば悲願達成のための大きなハードルを踏み倒した効果があった。そう山崎氏は分析する。一方で、GHQへの怨恨を隠そうとしない国家神道勢力が、現在の親米保守的政治動向についてはほぼ黙殺しているという状況について、山崎氏は様々な矛盾点を指摘する。