「選挙のときに国民投票もせず、解釈で改憲するような、違憲で、法的安定性もない、そして国会の答弁をきちんとできないような法案をつくるなど、わたしたちは聞かされていません。わたしには、法的安定性の説明をすることを、途中から放棄してしまったようにも思えます。憲法とは国民の権利であり、それを無視することは、国民を無視するのと同義です。
また、与党の方々は、この法律が通ったらどのようなことが起こるのか、理解しているのでしょうか。想定しているのでしょうか。先日、言っていた答弁とはまったくちがう説明を翌日に平然とし、野党からの質問に対しても、国会の審議は何度も何度も速記が止まるような状況です。
このような状況で、一体どうやって国民は納得したらいいのでしょうか」
さらに、SEALDsが安保法制への抗議運動の目になっていることはたしかだが、本質はそこにはない、と奥田氏は指摘する。
「SEALDsはたしかに注目を集めていますが、現在の安保法制に対して、その国民的な世論をわたしたちがつくり出したのではありません。もし、そう考えていられるのでしたら、それは残念ながら過大評価だと思います。わたしの考えでは、この状況をつくっているのは、まぎれもなく、現在の与党のみなさんです。
つまり、安保法制にかんする国会答弁を見て、首相のテレビでの理解しがたいたとえ話を見て、不安に感じた人が国会前に足を運び、また、全国各地で声をあげはじめたのです」
「今年の夏までに武力行使の拡大や集団的自衛権の行使容認を、なぜしなければならなかったのか。それは、人の生き死ににかかわる法案で、これまで70年間、日本が行ってこなかったことでもあります。一体なぜ、11個の法案を2つにまとめて審議したか、その理由もよくわかりません。ひとつひとつ審議しては駄目だったのでしょうか。まったく納得がいきません」と言う奥田氏の疑問は、どれも多くの人が感じていることだ。しかも、それらは国会審議によって、その違憲性やデタラメさが明らかになっている。そして奥田氏は、冒頭のように、こう断言するのだ。
「結局、(国民に)説明した結果、国会の審議としては異例の9月末まで延ばした結果、国民の理解を得られなかったのですから、もう、この議論の結論は出ています。今国会での可決は無理です。廃案にするしかありません」
きょうの国会における奥田氏の公述で印象に残ったのは、あらゆる世代・あらゆる立場の人びとの声を届けようと、スピーチ内にメッセージに込めていた点。なかでも、奥田氏は「先日、予科練で特攻隊の通信兵だった方と会ってきました」と言い、自分たちと同じ年齢だったころに戦地に赴いた人びとの安保法制に対する「強い危惧」を代弁していたが、この「予科練で特攻隊の通信兵だった」という男性は、7月18日付けの朝日新聞の投書欄に、こんな文章を寄せていた人だ。