しかも、『永遠の0』にはもうひとつ特徴がある。それは日本軍の被害ばかりを書き立てていることだ。
「結局、総計で三万人以上の兵士を投入し、二万人の兵士がこの島で命を失いました。二万のうち戦闘で亡くなった者は五千人です。残りは飢えて亡くなったのです」
「半年間におけるガダルカナル島の戦いでの犠牲はおびただしいものでした。陸上戦闘における戦死者約五千人、餓死者約一万五千人。/海軍もまた多くの血を流しました。沈没した艦艇二十四隻、失った航空機八百三十九機、戦死した搭乗員二千三百六十二人。これだけの犠牲を払って、ついにガダルカナルの戦いに敗れたのです」
「桜花を中心とした神雷部隊の戦死者は百五十人以上、神雷部隊全体の戦死者は八百人以上です」
「おじいさん一人が死んだわけじゃないよ。あの戦争では三百万人の人が亡くなっている。将兵だけでも二百三十万人も戦死しているんだ。」
「おばあちゃんにとっておじいさんがただ一人の夫だったように、亡くなった二百三十万人の人にもそれぞれかけがえのない人がいたんだと思う」
二百三十万人とか三百万人というのは日本人戦死者の数だ。アメリカにも戦死者はいるし、この本には一切出てこない韓国や中国などアジア各地でも無数の犠牲者がいて、その人たちにもそれぞれかけがえのない人がいた。それに、そもそも戦争を起こしたのは日本なのだ。『永遠の0』には、そういう“加害”という視点が一切ない。
このことは、語り手の祖父であり物語の主人公・宮部久蔵のキャラクターにも反映されている。
零戦パイロットの宮部は、お国のために命を捧げるのが当たり前の日本軍にあって臆病者とそしりを受けながらも、“命を何よりも大事にする男”で、たとえば、真珠湾攻撃の成功に仲間たちが湧くなか、ひとり浮かない様子で「未帰還機が二十九機出た」「妻のために死にたくない」と言う。特攻に志願する者は一歩前へと言われ、「命が惜しい」とひとり動かず怒鳴られる。部下をもつようになると、「命は一つしかない」「死ぬな。どんなに苦しくても生き延びる努力をしろ」と部下に諭す。特攻要員の教官になると、未熟なまま実戦に投入されて死んでほしくないと学生たちに合格点をつけない。
こうした戦場にありながら「死にたくない」というこの宮部のキャラクターこそが、『永遠の0』を“戦争反対の小説”と言わしめている最大のポイントだ。
だが、ちょっと待ってほしい。たしかに宮部は「命は何よりも大事」と言うが、それは自分の命や同じ日本軍兵士の命であって、敵のアメリカ兵の命のことは考えていない。自分は「死にたくない」と言うが、敵を「殺したくない」とは言わない。
それどころか、宮部は敵兵に対しては容赦がない。たとえば、撃墜した戦闘機からパラシュートで脱出する米兵をさらに狙い撃ちする、というくだりは象徴的だろう。