もちろん法的には検察官は独立して、1人で起訴・不起訴などを決めることができる。しかし、そんなことをできる検察官は現実には1人もいない。上層部の言うがままに捜査し、同期の出世をことさらに気にし、ひたすら組織内の立身競争に明け暮れるのが検察の実態だ。裏金の告発を行おうとしただけで組織からはじき飛ばされ、逮捕・起訴までされてしまった大阪高検元検事の三井環氏の実例を持ち出すまでもあるまい。
しかも現在のような、戦争へ向かってひた走って行くような世相の下で、この「独任官庁だ」を聞くと、別の意味も含んでいるように思える。この先、例えば、秘密保護法違反で誰かが捕まったとしよう。当然、世論は猛反発するだろうが、その時、検察側は「うちは独任官庁。1検事の行動は誰も縛ることが出来ない」と開き直ったら……?
いずれにしろ、『HERO』は楽しいだけの娯楽映画ではない。昨年には文部科学省とタイアップして、『HERO』は道徳教育のキャンペーンにも利用された“実績”がある。「沖縄2紙はつぶせ」発言でミソが付いたが、自民党は「文化芸術懇話会」を発足させるなどして、映画や文学、音楽の世界にも自らの政治性を持ち込もうと躍起だ。
矢部宏治の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)でも明らかなように、法務省は日本の対米従属の司令塔でもある。決して、古びた感じの、固いイメージだけの役所ではない。リテラの愛読者も『HERO』を楽しんだ後は、ぜひとも“法務省全面協力”の意味を考えてもらいたいと思う。
(南村延)
最終更新:2015.07.30 12:36