こうしたブランド需要にあわせて建築するようになると、周辺環境や予算、利便性よりも建築家が過去に建てた有名な建築と似ているかどうかが重要になってくる。本来建築はその土地の環境や予算などの条件を無視してはいけないものにも関わらず、環境を無視した建築家「らしい」建築が次々と建てられているのが現代建築の問題だというのだ。
予算を大幅にオーバーするであろうことがわかりきっているザハ案がコンペを通過したことも、修正案にザハ・ハディドが関わっていないことも、ブランド志向が背景にあることを知れば理解しやすいだろう。オリンピック招致の材料にするためには世界的建築家の権威が一番重要であり、名義さえ貰って開催が決定した後はザハ建築らしさの記号である小陰唇アーチさえ残っていればもうデザイナーの意志などどうでもよいのだ。
そしてザハ・ハディドはピーク・レジャー・クラブという建物の建築コンペで有名になった建築家だ。1983年に行われたこのコンペで、抽象絵画のような提案がたまたま磯崎新の目に止まり一等に選出された。しかしその設計案はあまりにも前衛的すぎ、あまりに複雑すぎて実際に建設されることはなかった。その後1993年まで実際に建築できたデザインは無い。にも関わらず、むしろ「アンビルトの女王」として有名になってしまった。(ちなみにアンビルトは建築界では必ずしも否定的な意味合いではなく、既存の建築に対する批評としての価値をも表す言葉である)
最初に建築されたザハ・ハディドの建築は四角い板を組み合わせたようなものだったが、次第に有機的な曲線で構成されたものが多くなっていく。インスブルックのケーブルカー駅舎は巨大なアメーバのように見える。建築技術の発展で実現できるようになってからはカーブの女王と呼ばれるようになったほどだ。
つまりザハ・ハディドは「建てることが不可能な建築」「まがりくねった有機的な曲線で構築された建築」で広く認知されるようになったため、同じような建築を求められ、本人もその需要にあわせて同じようなデザインを発表し続けているというわけだ。
「彼女はまるで自分のポケットの中に、そのようなハディド「らしい」建築の持ち案をあらかじめ用意しているかのようで、どの国のどの都市の設計競技があったとしても、そのポケットから案を一つポンと拾いだして、それをそのままのかたちで、そのコンペに提出する。
ハディドは与えられた敷地などをよく調べようとしない。なぜ、そうだとわかるのか? 新国立競技場案が当初は敷地の外に大きくはみ出していたのが、その一つの決定的な証拠になり得るからである。これは常識ならあり得ない話である。しかし彼女は当たり前のように、そうした“非常識”をやってのける」(同書より)
新国立競技場デザインでもコンペ当選時と表彰式で建築の向きを180度向け直しているが、問題はないとザハ・ハディドは語っている。向きを変えた理由はそこに十分な土地がなかったからだというが、ゼロから設計をしているのであれば土地の広さを考えた上でスペースに収まる形を考えるだろう。最初からポケットにあるものを取り出してコンピュータ上で置いているだけだから、レゴブロックを取り外して付け直すような気軽さで建築の向きも変えても悪びれないのだ。