新国立のデザインはこれの使い回しなのか?(Zaha Hadid Official Siteより)
右はザハ・ハディドがデザインしたカタールの「アル・ワクラ・スタジアム」という建築だ。曲線を主体としたデザインは新国立競技場と通じるところがある。
このスタジアムは2022年のサッカーワールドカップで使用される予定だが、デザインが公開された直後から海外で「女性器に見える」と話題になり、ニュース番組や雑誌などで何度も取り上げられた。
ザハ・ハディドはカタールの伝統的な「ダウ船」をイメージしてデザインしたと言っているが、ダウ船とは似ても似つかない形なのは見てもらえばわかるだろう。隅田川のアサヒビールビルも、デザイナーは「炎」と言っているが実際はどうみてもうんこであるように、現代建築家の「イメージは○○」という発言は信用できない。
もっとも、筆者は建築が女性器に似ているからダメと言っているわけではない。有機物をモチーフにするのは、人工物である建築を人間や環境と調和させる一つの手法であるし、女性性器をイメージすることも、それはフランク・ロイド・ライトの言った「中から外へと発展して行く」あるべき建築の姿ともいえなくもない。
問題はそのことでなく、「今回もまた」というほうにある。ザハ・ハディドがカタールに続いて、東京でも同じような建築物を続けて設計した理由だ。
新国立競技場の設計コンペを含めた現代建築を取り巻く問題について批判的に論じている『「らしい」建築批判』(飯島洋一/青土社)という本では現代建築の状況をこう分析している。
「つまり一部の世界的な建築家たちについては、いまや彼らの建築的なフォルムだけでなくて、その建築家の持つ名前の威力が、世界市場で巨大なブランド価値になっているのである。
施主たちはその建築家の建築そのものでなく、その建築家の名前の威力、つまりあの有名な建築家がつくったというブランドを、たとえ高額でもいいから是非とも買い取りたい。施主たちはザハ・ハディドや安藤忠雄やフランク・ゲーリーやレム・コールハースの仕上がりの良い建築を、実は第一義的には求めてはいない。彼らが欲しいのは、たとえばこれは安藤忠雄がデザインした建築だという事実の方だからである」