安倍首相は、この演説で例の福島原発「アンダーコントロール」発言をした後に、こう続けているのだ。
「他のどんな競技場とも似ていない真新しいスタジアムから、確かな財政措置に至るまで、2020年東京大会は、その確実な実行が確証されたものとなります」
独創的な競技場のデザインをアピールしたうえに、財源も含めて問題なし!──こんな大見得を切っておいて結果はコレである。今になって俺は知らんと、どの口が言うのだろうか。
そもそも、安倍首相らの民主党批判は、明らかにピントがずれている。今回の新国立デザインにおいて、ザハ氏の立場はデザイン監修にすぎず、実施までもっていく責任を持つのは最終的に政府。にもかかわらず、デザイン決定から今にいたる3年弱、政府はこんな事態になるまで自らの役割を放置してきたのだ。呆れるほかない。憲法は無茶苦茶な解釈改憲をするくせに、新国立の事業計画を「柔軟に」変更できなかったのはなぜなのか?
その原因は、やはり自民党と深く通じている。本サイトでも既報のとおり、現行案継続の背後には、森喜朗・元首相の影がある。
周知のように新国立競技場のプランは国民からの強い批判を受けて、2014年5月の段階で1625億円まで圧縮することになっていた。ところが、森首相が中心となって、ザハ案のまま進めることをゴリ押し。「価格についてはここまで圧縮され、私は妥当だと思う」などとでたらめな論理を駆使して、総工費を2520億円に増額してしまった。
いや、それどころではない。安倍首相や下村文科相が民主党に責任転嫁する根拠としてあげている2012年のザハ氏設計案の選定だが、これも民主党はほとんど関係がなく、事実上の責任者は森氏なのだ。
国立競技場の事業主は文科省所轄の独立行政法人・日本スポーツ振興センター(JSC)で、基本設計案にお墨付きを与えたのは、そのJSCが2012年に設置した「国立競技場将来構想有識者会議」。その有識者会議に、森氏は、JOC会長の竹田恆和氏、建築家の安藤忠雄氏、当時、都知事の石原慎太郎氏、さらには今回、五輪担当大臣になった遠藤利明議員などとともに、メンバーに名を連ねている。