「やられたらやり返す」の方法論で学校からいじめをなくすよう子どもに教えてしまうと、いじめは根絶されることはなく、ただ、いじめのターゲットが変わるだけのいじめの連鎖につながってしまう。
「やられたらやり返す」では、いじめの根源的な解決には向かえないのだ……。
もっとも、その後の田村淳の対応には評価すべき点もある。『35点男の立ち回り術』によると、いじめのターゲットから逃れた田村淳は、今度は他のいじめられている子たちと積極的に交流し、その子たちの長所や得意なことをクラスメートに伝える伝達者の役割を担うようになったという。
その経験から「まず人の話を聞いてあげる」ことの大切さを学び、それが今の司会業の役に立っているのだそうだ。
ただ、先に挙げた『いじめのない教室をつくろう~』のなかには、次のような指摘もある。
「まずは、いじめ問題を、「被害者が弱いから」という被害者の問題ではなく、加害者に対してどのように対応していくかという問題としてとらえ、私たち大人が責任を引き受けることではないでしょうか」
「いじめがありそうだとわかったら、被害者の安全確保はもちろんですが、同時に加害者の抱えている問題に寄り添い、理解することが大切になります。
いじめは、加害者がいじめ行為をやめれば解決します。ただ、加害者となってしまった子どもたちは、実は大きな悲しみや心の痛み、不安というものを抱えていることが多いのです。自分のことを心配してもらう実感、愛されている実感を、何よりも欲しているのがいじめている側なのかもしれません。周囲の大人との結びつきが著しく弱かったり、ネグレクトや心身への暴力を受けていたり、学校以外の塾や地域などで何らかのいじめを受けていたりする加害者もいます」
いじめの解決策を一言で言い表すことなどできないが、「いじめ被害者は何も悪くない」という考え方と、「いじめ加害者が、なぜ、人をいじめるような子になっているのか。その心の中に巣くう不安や傷を解消させない限り、真の解決はない」、この二つは鉄則だ。
田村淳は、自分の過去の経験もあるので、「被害者」のケアには一家言あっても、「加害者」のケアには考えがおよばない可能性がある。
もしも今後、彼が政治家となって教育関係の事例に関わる機会があったとしたら、自身の経験はいったん置いておいて、是非とも一度、いじめ関係の教育理論にあたってみることを強くオススメしたい。
(新田 樹)
最終更新:2015.07.07 11:36