4年の契約期間を終えニューヨークへ戻ったネルソンさんは、23歳でホームレスになっていた。原因は、帰還後毎晩見るようになったベトナムの悪夢だ。神経過敏になり、精神科医の診療も受けるようになったが、薬は役に立たず、かえって副作用のため日常生活に支障をきたすようになっていたのである。PTSD(心的外傷後ストレス障害)だ。
ベトナム戦争後にその症状が広く知られるようになったPTSDだが、アメリカでは今も深刻な社会問題であり続けている。『帰還兵はなぜ自殺するのか』(亜紀書房)によれば、イラク・アフガン戦争のアメリカ帰還兵200万人のうち、4人に1人がPTSDやTBI(外傷性脳損傷)などに苦しめられ、結果、毎年250名を超える自殺者を出しているという。
これは日本の自衛隊の未来を暗示している。事実、イラク戦争にあたって、約1万人の自衛隊員が派遣されたが、帰還後に28人もの隊員が自殺していることがわかっている。通常の日本の自殺率と比べると、実に14倍だ。安倍政権が目指す安保法制によって、自衛隊の活動範囲は飛躍的に拡大する。にもかかわらず、政府は、自衛隊員の戦死やPTSD等のリスクについての説明を避け続けている。安倍首相は「日米同盟を“血の同盟”にする」と大見得をきったが、現実に待ち構えているのは比喩でない。もちろん、安倍首相自身は一滴も血を流すつもりはないだろうが。
話をネルソンさんに戻そう。PTSDに苦しめられ、ホームレスを続けるしかなかったある日、たまたま再会した同級生に、ベトナム戦争について講演をすることを勧められた。ネルソンさんは迷ったが、結局、小学校にいき、子どもたちの前に立った。
ぎこちなく語り終えると、子どもたちからの質問時間になった。そこで出たある女の子からの質問に、ネルソンさんは固まる。それは、彼の自叙伝のタイトルにもなっている。
「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」
長い沈黙のあと、ネルソンさんは、目を閉じたまま言った。「殺した」。
すると、だれかの手が体に触れた。ネルソンさんが目を開けると、質問をした女の子がそこにいた。彼女はネルソンさんを抱きしめ、涙を浮かべながら見上げて言った。「かわいそうなネルソンさん」。子どもたちは一人、また一人とネルソンさん体を抱きしめていった。ネルソンさんのなかで、何かが溶け出した。
〈自分自身のことが、とてもよく見えるような気がしました。
何をすべきかもわかったような気がしました。
わたしが戦ったベトナム戦争を、悪夢として時間の牢屋に閉じこめるのではなく、今もなお目の前で起きていることとして見つめなくてならないのです。〉
ネルソンさんは、その後、日本での講演活動を開始する。きっかけとなったのは、1995年、沖縄で起きた海兵隊による少女レイプ事件だった。アメリカのテレビでそのニュースを聞いた彼は、そのとき、沖縄にまだ基地があり、アメリカ兵がいるという事実を意外に感じたという。ベトナム戦争が終わって、とっくに米軍は撤収していると思っていたからだ。ネルソンさんは何かしなければと、沖縄へ向かう。