そして、日本国憲法のことを知った。ネルソンさんは、ホテルで9条の条文を読み、立ち上がるほどのショックをうけたという。前述の『NNNドキュメント』のなかで、こう語っている。
「憲法第9条を読んだとき、自分の目を疑いました。あまりに力強く、あまりに素晴らしかったからです。日本国憲法第9条は、いかなる核兵器よりも強力であり、いかなる国のいかなる軍隊よりも強力なのです。日本各地で多くの学校を訪れますが、子どもたちの顔にとても素晴らしく美しくかけがえのないものが、私には見えます。子どもたちの表情から、戦争を知らないことがわかるのです。それこそ第9条の持つ力です」
9条こそが、子どもたちを守ってきた。ネルソンさんは、夢や理想ではなく、現実として語っているのである。そして番組のもうひとつのハイライトは、ネルソンさんが、アメリカ人政治学者のダグラス・ラミス元津田塾大学教授と9条について語り合う場面だ。VTRは少なくとも今から10年近く前のものであるはずだが、その内容は、まさに現在の安倍政権をめぐる日本の状況を示唆している。引用しよう。
ネルソン「平和憲法は日本人が考え出したものではないとかアメリカ人に与えられたものだと言う人がいます。しかし、誰にもらったかは問題ではありません。平和憲法は私たちが進むべき未来を示しています。たとえ宇宙人がくれたものだとしても、これは全人類にとって大切なものです。問題は今、当初の平和の理念が置き去りにされようとしていることなのです」
ラミス「私たちは平和憲法のもと、平和な日本で暮らしています。日本は世界一の平和国家と言われています。でも同時に沖縄には米軍基地がある。これはファンタジーです」
ネルソン「たしかにそこは大きな問題です。日本人は間接的に戦争に関与してきました。しかし、9条のおかげで直接的に戦争には関わっていません。言い換えると、第二次世界大戦後、日本は新たな戦没者慰霊碑を建ててはいない。そこが私には素晴らしいと思えるのです」
日本国憲法は“誰がつくったか”が本質ではない。条文が示す、戦争放棄、戦力不保持、平和主義の理念を見つめるべき──そう、ネルソンさんは訴えるのである。昨今、護憲派の人々は、改憲派やネット右翼らから「脳内お花畑」とか「9条教」などと揶揄されている。しかし、ネルソンさんが9条をこれほど高く評価するのは、戦場で人を殺し、生還後もPTSDに苦しんできた自身の体験があるからだ。
ネルソンさんは、決して夢想家ではない。少なくとも、戦場の実態を知っているという意味では、安倍首相をはじめとするほとんどの改憲派の人たちよりもリアリストだろう。戦争で人を殺さず、殺されないこと。そのことをはっきりと規定した9条の条文が、ときの権力者の暴走に歯止めをかけてきた。ネルソンさんの言葉はその事実をあらためて私たちにつきつける。
与党は、国会での安保法制改正案の強行採決を目論んでいる。あの戦争の終結から70年が経つこの夏は、日本が再び戦争ができる国になった夏として、歴史に刻まれるかもしれない。人を殺し、殺されることが「当たり前の事実」になる日を目の前にして、私たちはこのまま、手をこまねいているだけでいいのだろうか。
(小杉みすず)
最終更新:2015.07.04 05:15