また、同書の「あとがき」で、大本営の戦略に対し〈迷妄な空軍決戦主義と狂気じみた裸突撃〉〈ばかげた攻撃要求〉と激しく非難。第32軍の参謀長であった長勇中将の自決に立ち会ったときのことをこう回想している。
〈参謀長は、自決の直前、私に「沖縄戦はどんな作戦を採っても、結局わが軍が負けるに決まっていた。お前は本土に帰っても作戦の是非を論ずるな」と申された。あるいは、参謀長の言葉通りだったかもしれない。〉
ようするに、当時の日本軍は結果が見えていたにもかかわらず、沖縄になるべく多くの敵を集めて、そこで民間人を巻き込んだ血で血を洗う残虐な戦いを引き延ばし続けていたのだ。これを「捨て石」と言わず、なんというのか。
しかも、沖縄が内地と決定的に違うところは、戦時中だけでなく、終戦後も長く米軍の占領下におかれ、返還後も米軍基地への土地提供というかたちで「捨て石」にされ続けていることだ。
ところが、百田氏はじめ、ネトウヨ、保守メディア、右派評論家たちは、自分たちの戦争肯定思想に邪魔なこうした事実をネグり、「沖縄だけが特別じゃない」と話をスリカエていく。
そして、最後は「沖縄=反日」のレッテル張りだ。右派メディアやネトウヨは、自分たちの大好きな米軍を拒絶する沖縄が相当に気に入らないらしく、沖縄に中国の観光客が大挙して来日していることやその観光ビジネスに中国資本が進出していることをあげつらい、「沖縄は中国のスパイ」などと言いだしている。
百田氏もまさにその典型で、沖縄タイムスで「「沖縄の島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」の発言の真意は?」と問われ、こう答えている。
「絶対あってはならないことで仮定の話をした。沖縄の人は中国を歓迎している。(辺野古の新基地建設反対など)翁長雄志知事が言っていることも意味が分からない。沖縄の人の総意は何なのか。中国の危機意識がない人も見受けられる」
どうしても沖縄を“中国の手先”にしたい意図が見え隠れするが、でも、その根拠が「中国人を歓迎している」だけとは……。日本の消費産業はいま、中国人客頼み、沖縄以外でも観光地ならみんな「マナーが悪い」と言いながら中国人を歓迎していると思うのだが。