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小藪の『美魔女批判』は本当に正論か? 35歳以上の女は着飾っちゃいけないのか?

 しかし、今回の美魔女批判はやけに評判がいい。年齢性別を越えた幅広い層から、「よくぞ言ってくれた!」「小藪は嫌いだけど、正論!」などと快哉の声を集めている。

 なぜ、美魔女批判がこれほど喝采を浴びているのか。むしろ、今回の主張こそ小藪の保守性、ズルさがよく出ている気がするのだが……。

 たとえば、小藪は「キレイなだけで褒めるのは、もうヤメにした方がええ」と、外見至上主義に警鐘を鳴らすポーズをとっているが、これは明らかにまやかしだ。

 だって、外見至上主義に走っているのは何も美魔女だけじゃない。若い女性を美醜で優劣つけるミスコンはいまだにもてはやされているし、「美しすぎる議員」に「美しすぎるアスリート」「美しすぎる弁護士」……と若い女性のルックスにフォーカスする傾向はむしろ強まっている。

 ところが、小藪と彼の支持者の批判は絶対にそこには向かわず、「美魔女」のことだけをあげつらうのだ。「若い」女性には男の需要にあわせた見た目を求めながら、35才以上の「年いった」女性には「美」を追い求めることから降りろ、と迫る典型的なダブルスタンダード。

 つまるところ、いい年こいた母親がいつまでも「美」を追い求めるなんてみっともない! 結婚して子どもを産んだら美容やオシャレなどにかまけず、家事・育児に身を粉にするのが女の美徳、ということだろう。

 実際、賛同理由で多く見受けられるのが「美魔女ばかり認められるのはおかしい! 普通のオカンが、家族第一でこなす家事・育児の仕事は立派で尊い! もっと認められるべき!」というもの。ここで「普通」が強調されるのは、メディアで取りざたされている「美魔女コンテスト」の受賞者が、経済的に恵まれている富裕層や、モデルやレースクイーンなど芸能界で活躍していた女性が多いことにある。美魔女は「特権階級」の母親たちであり、多数の「普通の母親」たちよりも優遇された条件だからこそできるのが「美魔女ライフ」、ということなのだろう。

 しかし、「普通の母親」の「認められていなさ」の出どころは美魔女のせいなのだろうか。「美魔女」と「普通の母親」の関係は、両者を天秤にかけて、一方の価値が上がれば一方の価値が損なわれる、という類のものでもないはずだ。美魔女が出現したのは、たかだか、ここ5年の話。それ以前、「普通の母親」はもっと認められていて、美魔女の出現によって、普通の母親の価値が下がったというわけではないだろう。

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