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小藪の『美魔女批判』は本当に正論か? 35歳以上の女は着飾っちゃいけないのか?

 内閣府が2013年、家事・育児の労働を貨幣価値に換算したところ、専業主婦は年間約304万円、兼業主婦でも223万円、対して男性は51万円という結果が出た。「見えない労働」である家事・育児は経歴やスキルとして認められず、法的にも経済的にも、補償や権利が与えられない。このことは、1960年代から指摘され続けていることだ。それから半世紀近く、相変わらずの現在――小藪の美魔女批判は、母親たちが担う見えない労働を、「せめて賞賛して欲しい」という悲痛にも近い不満に共鳴したように見える。ここが、小藪の美魔女批判の巧妙さ。一見、多くの普通の主婦や母親たちの味方をしているようで、彼女たちの不満の矛先を美魔女に向けることで、こっそり問題をすり替えてしまうのだ。

 「美魔女vs普通の主婦」のような、いわゆる“女の敵は女”の対立構図の背景には、いつも男社会の論理が隠されている。

 小藪の主張を受けてワラワラと湧き出た、「家事・育児は尊い! おろそかにするなんてけしからん!」と大合唱する男性たちには、それならば、女性ばかりに押し付けるのではなく男性がもっと積極的に関わればいいと言いたい。

 小藪の美魔女批判で声高に叫ばれる「家事・育児こそ一番尊い!」という論調は、美魔女をこき下ろすことで普通の主婦の味方を装っているが、結局は家事・育児を女性だけに押しつけるための男社会の方便にすぎない。

 そこには、母親たちが美容やオシャレに夢中になって、家事・育児がおろそかになったら「困る」、という男性目線のご都合主義が垣間見える。実際、小藪の美魔女批判では、ことごとく家事・育児は女性がやることが前提となっているのだ。

 結局、小藪の美魔女批判というものは、「母親たるもの家族を優先して自分を犠牲にすべし」という昔ながらのガンコ保守オヤジにありきたりの良妻賢母像の押し付けと、そこからはみ出たものへの排他でしかない。今回の美魔女批判を是とする論調は、「母親はこうあるべき」という生き方の規定と、それにそぐわない母親へのバッシングをOKとして、結果的に普通の母親たちを追い詰めるムードに繫がるだろう。

 今回たまたま「美魔女」には当てはまらなかった母親も、「ベビーカーで電車に乗るな」とか、「学校の持参弁当は手づくりでないと」、などなど、今後どういうカタチで湧き上がるかわからないバッシングがひとたび自分に当てはまれば、はみ出た母親として集中砲火を浴びかねない。

「美」でも、はたまた家事や育児でも、何に価値を置くかは人それぞれ。「母親としてこうあるべき」などと生き方の部分を他人が説くのは、おせっかいもはなはだしい。昨今ブームの「毒舌芸人」の一人として着実に地位を築いている小藪だが、みんなが言いづらかった本音を露悪的にぶちまけるだけというのでは、あまりにも芸がない。毒舌芸は、自分より弱く叩きやすいものを追い詰めることではないはずだ。
(藤マミ)

最終更新:2017.03.02 12:39

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