末延氏と安倍首相の関係は古い。末延氏の実家は安倍氏の地元・山口県で、岸信介の時代から安倍家の有力な後援者だった。そして、テレ朝の政治記者になった後、末延氏はその出自を最大限に活かすかたちで安倍氏に食い込んでいく。そして、安倍氏との関係をテコにテレ朝政治部で出世街道を歩んでいった。
末延氏自身もそれを隠そうとはせず、第一次安倍政権が崩壊した直後、「月刊現代」(講談社)2007年11月号に、「わが友・安倍晋三の「苦悩の350日」」と題して、その深い関係をこうつづっている。
「私の亡くなった父は山口で家業の建設業を営む傍ら、青年団運動に携わっていた。A級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に収監されていた安部の祖父である岸信介が出所したのは、そんな青年団運動を熱心にやっていた折りだった。「自主憲法制定」を掲げて日本再建連盟を設立した岸は、地元・山口に帰るたびに啓蒙運動を展開し、家が近所だった私の父も、その教えを受けた一人だ。
だから私も子供の頃から、岸と面識があった。夏休みに東京から山口にやってくる晋三兄弟の存在も知っていた。」
「上京して、高校・大学を出ると、私はテレビ朝日に勤めた。それまでも同郷で、かつ父親が知己である関係で岸信介や安倍晋太郎とも会っていたが、放送記者の仕事が始まると接する機会は増えた。」
「それを機に付き合いは深まった。思い出深いのは、04年の参院選敗北の責任を取らされ、幹事長から幹事長代理に降格させられた日のことだ。いつも人の批判をしない男が、私の前では不快感を露(あらわ)にした。私には素の姿を見せた。同郷で同じ年齢。そんな気安さがあったのかもしれない。そのことがまた、関係を密にした。」
末延氏は政治部長在職当時、部下への暴力事件を起こして、テレビ朝日を退職せざるをえなくなったが、その後も、安倍首相との関係をテコにテレビ朝日との関係はきれなかった。
退職後しばらくしてから『やじうまプラス』など、テレビ朝日の番組コメンテーターにもしきりに起用され、暴力事件など無かったかのように厚遇されるようになる。この裏には、テレビ朝日の実力者で、今回の一連の人事でも黒幕とされる早河洋会長の意向があったといわれている。
「末延さんはそれまでも自民党の有力政治家を紹介したり、官邸との仲を取り持ったりということで、早河会長から信頼を得ていましたが、当時、安倍さんの政治力が増し、次期首相が確実視されていたため、関係の深い末延さんを重用したということでしょう」(政界関係者)