さらに「週刊新潮」(新潮社)14年5月1日号は、こんな批判記事を書き立てた。
「このドラマは中国政府が進める『抗日戦争勝利70周年記念』事業の一環で、制作に共産党宣伝部が名を連ねていることから、“歴史的事実”に基づくかどうかは眉唾ものだ」
「ある芸能事務所社長はこう危惧する。『出演料は、1日10万〜30万円と中国では破格。これは日本国内のテレビドラマと比べても、決して悪くありません。高額なギャラに目が眩んでオファーを引き受ける俳優は、少なくないかもしれません』」
今回の小倉の発言はこうした批判に完全にのっかったものだ。事務所が「反日映画」出演に反対するのは当然であり、それを押し切って出たことが萩原の転落の始まりだったかのように、この騒動をふりかえったのだ。
だが、萩原と親しい芸能関係者によると、事情はまったくちがう。萩原は独断でドラマへの出演を決めたわけではなく「事前に事務所に相談し、オーケーをもらっていた」。ところが、その後、ネットの批判やマスコミ報道などが広がったことで事務所の態度が豹変。「慌てて『辞めろ』と言い出した」のだという。
「オーケープロダクション」は小倉を筆頭に、室井佑月や宮川俊二、長田新、諸星裕などのアナウンサーやコメンテーターを多数抱える事務所のため、“反日”という色がつき、バッシングの対象となり、槍玉に挙げられることを恐れたのだろう。萩原としては途中ではしごを外されてしまった、というわけだ。
しかも、このドラマ、実際は「反日」でもなんでもなかったらしい。ドラマの脚本の完成版を読んだ萩原と親しい映画関係者は、こう語る。
「戦争によって中国人も韓国人も、そして日本人も戦渦に巻き込まれていく。ドラマはそんな戦争の悲惨さを描いた作品でした。萩原さんはA級戦犯役として処刑された板垣征四郎の役でしたが、それも単なる悪役の“日本鬼子”ではなく、人間的な感情豊かな人物として描かれていた。そうでなければ、萩原さんだって引き受けるはずがない」
実際、このドラマは中国当局の意に添わず、結局はお蔵入りしている。そのことを考えても、萩原への「反日」攻撃は明らかに濡れ衣なのだ。
それを小倉はレッテル貼りをするネトウヨと同様、「反日映画に出演して事務所を辞めた」などと喧伝したのである。そもそも、小倉は萩原を解雇した「オーケープロダクション」の取締役に名を連ねる「事務所幹部」。いわば“反日ドラマに出るな”と萩原に言った事務所側の人間であり、少なくとも事情を知っていたはずだ。それをネグってあたかも萩原に責任があるかのような言説をふりまくのは、卑劣としか言いようがない。