〈こういった経験の積み重ねが、自己能力に対する自己評価を高めていった。私は、男性の評価を何より信じ、大切にした。〉
〈男性を立て、男性から褒められ、喜ばれることが私の喜びで、そういう男性と一緒に過ごす時間が一番リラックスできた。〉
そして、自分が悪く言われるのも、こうした男との関係に対する女たちの嫉妬、欲求不満だと強く主張する。
〈私のことが世間で騒がれたのは、男性が求める女性像を演じて愛されたことへの反発が根源になるのだろう。〉
〈私の事件に多くの女性が反応したのを知って、男性に対して欲求不満や苛立を感じている不幸な女性が多いのだなと思った。(略)自分の人生に不満を抱いている女性たちが、私の容姿や人格的な誹謗中傷をすることで、自らの不幸や憤りを回収させている気がした。〉
男性へ向けられる独特の視線と自分に対する絶対的な評価、それとは対照的な他の女性たちへの蔑み、そして、数多くのセックスシーン。これはこれで、かなり興味深いし、文章も悪くない。だが、読んでいると、どうしても違和感が残る。
作者の木嶋被告は3人もの人を殺害したとして逮捕起訴、勾留され、法廷では一貫して無罪を主張してきた女性だ。現在二審までが終わりその判決は死刑。普通なら、小説でも、まず冤罪であることを全面主張するはずだと思うのだが、しかし、本書にはそうした記述が一切ない。法廷と同様、なぜかこれまでのセックス遍歴とその自慢ばかりが羅列される。
彼女にとってそれが大切だということだけは分かるが、しかし無罪を主張しているなら、セックスシーンだけでなく、少しでも事件に対する自らの主張をして欲しいと考えるのは余計なことなのだろうか。
実はこの小説は事件以前の2008年の段階で終わっている。物語はこんな記述で締めくくられる。
「二〇〇八年(平成20年)、今まで私の行動様式とは違った方法で男性との出会いを求めたのが、インターネットによる婚活だった。
裁判やメディアによる報道によって、世間に知られている私のイメージはここから作られたものである。婚活の話はまた別の物語──」
おそらく木嶋被告は第二弾を構想中(または執筆中)なのだろう。そこで事件の“真実”はどう語られるのか。今度はエロ小説でないことを祈りたい。
(林グンマ)
最終更新:2017.12.19 10:26