ナンシーが長渕に言及しているのは、「噂の真相」1993年12月号に掲載された連載「顔面至上主義」でのこと。じつはこの記事、メインテーマは国生さゆりだった。ご存じの人も多いと思うが、国生は91年に放送された長渕主演のドラマ『しゃぼん玉』(フジテレビ系)で共演後、長渕との不倫が取り沙汰されるように。そんな最中に長渕は主演ドラマ『RUN』(TBS系/93年)で、国生を愛人役として抜擢。ナンシーの原稿は、このドラマにおける国生を批評したものだ。
まずナンシーは、この『RUN』というドラマを“長渕によるテレビ説法”であると評し、〈もう長渕のことはさておくとしても、気になるのは共演女優の国生さゆりである〉と本題を切り出す。そして、〈国生さゆりは長渕剛にカブれている〉と述べるのだ。
〈このカブれ方は、たとえば「森川由加里、竜雷太に熱烈ラブコール」とか「少年隊ヒガシ森光子のためなら火の中水の中」といったものとは違う。例がわかりにくい。なんかもっと思想的なかんじだ。思想と呼べるものがそこにあるかないかというのもあるが、「オルグ」という言葉がなじむような気もする〉
また、ナンシーは〈(国生は)無根拠にエキセントリックな金切声を上げてばかりいる。いや、今回の国生さゆりは金切声からもう一段上のテンションを表す「声」を出すのだ〉と、彼女の「声」の変化に着目し、原稿をこう締めくくる。
〈長渕は、国生さゆりを巫女に抜擢したのかも。ご神託を告げるために、国生は新しい声を産んだ。その声、他に使い道はないのに〉
オルグ、巫女……。ナンシーが国生に使ったこれらのものものしい言葉を冨永に当てはめてみても、違和感はない。長渕にハマった女性は、長渕の思想(ナンシーの言うとおり、それが何かはよくわからないが)に強く共感し、教えを請い、弟子化し、さらに絆を深めていく。もちろん、“師弟関係だから男女の仲ではない”という言い訳は、この場合、理由として通用しない。現に国生は95年に長渕が大麻所持で逮捕された際、会見で不倫関係にあったことを認め、志穂美も含めて協議を行い、関係を清算したと発表している。
まるで未来をも予言したかのようなこの批評、さすがナンシーと唸らずにいられないが、すっかり長渕色に染まってしまった冨永は、今後どうなっていくのだろうか……。
(大方 草)
最終更新:2017.12.19 10:03