そもそも、現在の新聞報道では未成年の実名などが報られることはほとんどない。だが、かつては違った。
『少年事件報道と法』(田島泰彦、新倉修・編/日本評論社)という本のなかに、戦後の少年事件報道をまとめた研究報告がある。そこから、未成年による殺人案件と報道の態様をいくつか取り上げよう。
1958年に東京・小松川高校の女子生徒が強姦ののち殺された事件では、毎日、読売、日経が、被疑少年(18)の氏名、顔写真、住所などを掲載した。いずれも父親が「日雇い労働者」であったことを記載したほか、「環境にゆがめられた子供っぽい異常者」などという差別的な表現も見られた。この後、新聞協会や最高裁家庭局、在野法曹などが集まり議論が行われ、同年、日本新聞協会は「少年法第61条の扱いの方針」を策定している。
この「方針」は、新聞各社は基本的に「20歳未満の非行少年の氏名、写真などは、紙面に掲載すべきではない」と表明するものだったが、「逃走中で、放火、殺人など凶悪な累犯が明白に予想される場合」や「指名手配中の犯人捜査に協力する場合」「少年保護よりも社会的利益の擁護が強く優先する特殊な場合」などは、その例外としている。
2年後の1960年には浅沼稲次郎刺殺事件が起きるが、やはり新聞各社は犯行に及んだ右翼少年(17)の顔写真や氏名を掲載した。右翼思想を持つ未成年によるテロルに関しては、その翌年の嶋中鵬二中央公論社長宅襲撃事件でも、多くの新聞社が同様の方針で報道を行っている。
だが、69年の連続ピストル射殺事件以降、新聞からは未成年の実名報道が姿を消した。こうした流れのなかで、80年代には雑誌ジャーナリズムがこの分野を牽引していくことになる。
たとえば、1988年に発生した綾瀬・女子高生コンクリート詰め殺人事件だ。16歳から18歳の少年4名が、女子高生(17)を1ヶ月あまり監禁、暴行を加え続けて殺害し、遺体をドラム缶にコンクリート詰めにして工事現場に遺棄。新聞各社は少年らの氏名、顔写真ともに掲載を見送った一方、議論を呼んだのが週刊誌の報道であった。
なかでも「週刊文春」(文藝春秋)は89年4月20日号で、少年4名の実名を挙げ、家族構成や経歴などを記して話題になった。そして「実名を報じた真意」として、記事のなかでこう書いたのだ。
〈「新聞に名前が出ない」ということが、悪ガキたちの犯罪をどれだけ助長しているか〉
〈五年もたてば、そ知らぬ顔で街をノシ歩く〉
〈一体誰が責任を負っているというのか。親や教師が責任を回避する上に、本人たちも「少年法」の名のもとに手厚く保護されているのでは、被害者は浮かばれない。〉
「野獣に人権はない」――当時の「文春」編集長・花田紀凱氏が会議室で言い放ったというこの言葉はあまりにも有名だ。花田氏の“野獣発言”は人権派から総攻撃を受けたが、実際のところ、これが“少年法”を批判する人々の一番基本的な考え方になっていることは間違いない。