つまる所、彼女がもっとも危惧しているのは、自分を「右」とも「左」とも考えていない若者や、一般市民が、政治について語るのを恐れてしまうことだ。特定秘密保護法にしろ、原発再稼働にしろ明確な意見を持てるのは一握り。結局のところ「ふつうの人たちは、自分を『右』か『左』のどちらかにカテゴライズすることなどできない」という。どちらかを表明するだけで「叩かれる」状況では、「どっちつかず」層の沈黙は加速するだけだろう。
こうした状況は、左右含めた「政治に関心がある人たち」と「どっちつかず」層との間にも分断線を引いてしまう。彼女自身、政治への関心を示すだけで周囲に敬遠される経験を重ねてきた。本来政治とは日々の生活に直結する「こっちの世界」の話であるにもかかわらず「それについて真面目に語り合うことが『面倒だ』『鬱陶しい』と思われてしまうのは、どのように考えても健全ではない」と危機感を訴える。
「このまま政治論議がネット上だけで進み、日常的な議論がなされないままでは『極端な人たち』の考え方だけが強い影響力をもつようになってしまいます。ほんとうの『民意』が蔑ろにされたまま、声の大きい人たちの意見だけが目立ってしまう。そうした状況はますます、若い人たちの『政治離れ』に拍車をかけるでしょう」
「右」と「左」、さらにはどちらでもない「どっちつかず」層。本書はどの立場にも肩入れしているようで、どこからも絶妙な距離感を取っている。どんな人が読んでも共感するポイントがある一方で、部分的な違和感も残るだろう。しかし、それは春香クリスティーン自身が「炎上『から』とことん考えてみた」結果、辿りついた境地なのだ。居丈高な「評論」ではなく、23歳の若者による「体当たり国家ルポ」として読むことをおすすめしたい。
(松岡瑛理)
最終更新:2017.12.13 09:37