1月20日の内外記者会見(首相官邸HP「政府インターネットTV」より)
一昨日、本サイトが配信した「本当にイスラム国をISILと呼ぶ必要があるのか!? 呼称問題を考える」に批判が殺到している。まあ、安倍親衛隊やネトウヨの「安倍さんが嫌いだからISILと呼びたくないだけだろう」などという言いがかりは放っておくとして、「関係ないイスラム教徒が差別されても平気なのか」「正式な国ではないのになぜ国扱いしたがるのか」などの批判にはもう一度きちんと答えておくべきだろう。
まず、「イスラム国のせいで、関係ないイスラム教徒が差別、攻撃されている」という指摘は感情的には理解できる。だが、やはり問題の本質からはずれていると言わざるをえない。
そもそも、イスラム国登場前から、ムスリムは攻撃され、迫害されていた。とくに9.11後のアメリカでは、イスラム教徒に対する偏見はたびたび問題になってきた。先日の、シャルリ襲撃事件後のフランスでも、ムスリムたちは自分たちへの偏見が助長されることを恐れていた。欧米だけではない。日本でも、イスラム諸国にまつわる事件が起きるたびに、イスラム教徒が偏見の目にさらされてきた。公安が国内のイスラム教徒の個人情報を流出させた事件は、2010年のことだ。イスラム国が成立する何年もまえに、イスラム教徒というだけで、テロリスト予備軍と見るような捜査方法が日本でもすでにまかりとおっていたのだ。
イスラム国がイスラム教を代表しているわけではない、のは当たり前だ。しかし、問題の本質はイスラム国と関係ないのにイスラム教徒が攻撃されることではない。イスラム教であるという属性のみを理由に、イスラム教徒が攻撃されることがおかしいのだ。あるイスラム教徒が犯罪を犯したからといって、ほかのイスラム教徒を攻撃する。あるイラン人が犯罪を犯した、ある韓国人、ある日本人が犯罪を犯したとして、すべてのイラン人すべての韓国人、すべての日本人を、攻撃する。それらはただの差別だ。「一部の悪い人のせいで、関係ない人が差別される」とよくいうが、その差別は「一部の悪い人のせい」ではない。一部の行為をその属性だからといってほかの人間に当てはめること自体が差別だ。「一部の悪い人がいるから」「イスラム国という呼称があるから」とあたかも差別に理由があるかのような言説にくみしない。もともと自分たちがもっているイスラムに対する差別意識を、「イスラム国」という呼称のせいだと転化し、隠蔽すべきでない。