「ジャニーズ主演プププ」を跳ね返せるか亀梨(映画『ジョーカー・ゲーム』公式サイトより)
先週末に封切られた、KAT-TUNの亀梨和也主演『ジョーカー・ゲーム』。亀梨にとっては年末に『バンクーバーの朝日』が公開されたばかりで、映画出演がつづいているが、そんななか、亀梨があるインタビューで気になる発言を行っている。
「映画ファンの人からすると僕とかは“商業の人間”って見られてると思うんです。三木聡さんの作品に出たとき『三木さんもジャニーズにいっちゃうんだ』みたいな声も少なからず届いてるの俺、知ってたし!(笑)」(ぴあ「SODA」3月号)
たしかに、『バンクーバーの朝日』は満島ひかりの夫で気鋭の若手監督・石井裕也がメガホンを取り、今回の『ジョーカー・ゲーム』も、コアな人気を集めた『SR サイタマノラッパー』の入江悠が監督を務めている。亀梨には、シネフィルからジャニーズだというだけで敬遠されたくない……という思いがあるのかもしれない。
だが、そのような話題の監督とアイドル映画以外でジャニーズタレントが仕事できるようになったのは、ここ十数年のこと。映画ばかりか、テレビドラマや楽曲だって昔はたんなるアイドル枠でしかなく、「商業の人間」どころか、「ジャニーズだって、プププ」と露骨に嗤われてきた時代があったのだ。
歴史を紐解くと、フォーリーブスから郷ひろみ、たのきんトリオと順調にアイドルを量産してきたジャニーズにとって、最大の旋風を巻き起こしたグループが光GENJIだ。光GENJIは80年代のアイドルブームにのって社会現象となったが、そんなブームもいつしか下火に。代わって、『三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS系)に代表されるバンドブームが起こり、つづいてB'zやZARD、T-BOLAN、WANDSなどを輩出したレーベル・ビーイングがヒットチャートを席巻。このアイドル冬の時代にデビューしたのがSMAPだが、大人は無論、ターゲットである中高生にまで「いまどきアイドルなんてダサい」と嘲笑される対象となっていた。いまでもSMAPは売れなかった時代のことをよく振り返るが、あの時代にキラキラ・スケスケ衣装でスケートボードに乗るのは、苦行以外の何物でもなかったはずだ。
しかし、この苦難の時代を変えたのも、ほかでもないSMAPだった。先日、「週刊文春」(文藝春秋)誌上でメリー喜多川副社長に壮大に公開説教されてしまったSMAPのチーフマネージャー・飯島三智氏こそ、SMAPをバラエティ路線に進出させSMAPの一般認知度を上げたことは過去の記事でも触れたが、SMAPにとってもうひとつ大きな分岐点になったのは、1993年に発表したシングル「$10」だった。