さらには、中東の衛生テレビ局・アルジャジーラまでもがこのコラ画像ブームをWeb上で取り上げ、
「日本のネット民たちが、あり得ない反応を見せている。殺害予告の動画をネタ化して、こき下ろしているのだ」
「日本のネット民たちは、“ISISクソコラグランプリ”というハッシュタグを使っているが、人質動画をPhotoshopでネタ的に加工しバカにしているのだ。このハッシュタグは50000以上も使われている」
と紹介する事態にまで発展。日本人が人質をとられているにもかかわらず、日本のネットユーザーはこれをネタにしている──そう世界中に広まってしまったのだ。
そもそもコラージュ(フォトモンタージュ)は、アートの分野だけでなく、風刺の手段としても用いられてきた手法だ。日本でも、戦後は天皇制を批判するコラージュが大量に出回ったり、政治権力に抵抗するためその時々につくられてきた。だが、デジタル技術とネットの発展で、コラージュを作成することも流通させることも手軽になり、風刺やエロといった目的のない、たんなる遊びとしての「コラ」が出現した。たとえば2ちゃんねるでは「○○が××している画像ください」という架空のシチュエーションを提示した大喜利のようなネタが定番化。照英や速水もこみち、松岡修造、川越達也といったタレントたちが謎の人気を博してきたし、とくに昨年は、佐村河内守氏と新垣隆氏、号泣議員、小保方晴子氏など、騒動が勃発するたびに大量のコラ画像が人々の手によってつくられ、Twitter上に溢れかえった。
そして今回の人質動画のクソコラ問題。すべてをネタとして消費してしまうネタ化社会もここまできたかと恐れ入るが、ネタが通じるのはごく限られたタコツボのなかに過ぎない。タコツボの外には、ネタでもゲームでもない、リアルな戦争も存在している。ガチで人の命を奪うことや自分の命を賭けることも厭わないイスラム国関係者に、この「ネタ」という感覚など理解できるはずはない。投稿している人の多くは覚悟をもってイスラム国を批判しているわけでもなく、いつもの内輪ノリなのは明らかで、平和ボケとしか言いようがない。しかし、圧倒的にレイヤーのちがう者が、同じネットワーク上に同居し、繋がり得る。わたしたちが生きているのは、そんな世界だ。
もちろん、「権力批判としてのコラージュは許されるが、遊びのコラは許されない」などというつもりはない。それは遊びや悪ふざけのコラであっても、わたしたちがもち得る社会批評の手段であり、表現の自由として認めるべきだからだ。
しかし、今回はどんなきっかけで殺害が実行されてもおかしくない、人命がかかった緊急事態だ。
イスラム国がSNSを駆使していることはよく知られているなかで、「バカにしている」と受け取れるコラ画像を世界に向かって発信することは、彼らを挑発することにもなりかねない。仲間内でノリを共有する感覚は、今回ばかりは通用しないのだ。この瞬間にも、いまだにこの事件に関するコラ画像はつくられ、アップされつづけているが、いま一度、人の命がかかった問題であることを考えてみてほしい。
(水井多賀子)
【検証!イスラム国人質事件シリーズはこちらから→(リンク)】
最終更新:2017.12.09 05:07