マララが考える社会主義がどんなものかは、彼女が明示的に語っていないなかでは、これ以上はっきりとはつかめない。ただ、マララがこの社会の矛盾と困難を解決する唯一の手段として社会主義を支持していることだけははっきりしている。
したがって、マララがアメリカやイスラエルの手先であることはあり得ない。また、多くのひとが理解しているような、頑迷蒙昧なテロ集団を批判する民主主義者でもない。
先進資本主義国をもふくめたこの世界のあり方を根本的に変革することが、マララの訴えなのだ。
(赤井歪)
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▽ノーベル平和賞マララが意外とミーハーでかわいい!
憲法9条の受賞なるかと注目されたノーベル平和賞。パキスタンの17歳の少女マララ・ユスフザイが史上最年少で受賞した。マララは11歳のころから女の子も教育を受ける権利をと訴えてきた。それが原因で2012年15歳のときスクールバスでタリバンに銃撃を受け、瀕死の重傷を負う。その後も屈することなく、すべての子どもが教育を受けられるようにと国連でスピーチするなど、ますます精力的に活動している。
しかしマララに対して「若すぎるのではないか」「将来の重荷になる」「大人が政治利用しているだけ」「背後に欧米の思惑が」「欧米の価値観をイスラム圏に広げる広告塔」など心ない批判もある。祖国パキスタンでは「MalalaDrama(マララ茶番)」という言葉が出回り、彼女の発言も襲撃事件もすべてCIAによる茶番劇だなどという中傷までされている。
『わたしはマララ』(学研パブリッシング/金原瑞人、西田佳子訳)を読むと、彼女の壮絶な体験と、それに負けない聡明さや強さに感銘を覚えるのはもちろんだが、それ以上に印象的なのは、マララの十代の少女らしい素顔の部分だ。
「わたしたち女の子にとって、それは魔法のドアだった。その向こうにあるのはわたしたちだけの特別な世界。弾むように歩きながら、頭に巻いたスカーフを取る。雲を風が吹きはらって太陽が顔を出す、そんな気分で階段を駆けあがると、中庭がある。それを取りかこむように、教室のドアが並んでいる」