その「革命」の第一の波は、1996年に設立された「新しい歴史教科書をつくる会」から始まっている。小林よしのりの右傾化もこの前後であり、彼はそのまま「つくる会」に参加して「新しい歴史教科書」の編纂に携わることとなる。そして翌年、日本会議が設立されるのだ。これは神社本庁からカルトまで多くの宗教団体を母体にした、一種の宗教保守勢力である。第2次安倍内閣の閣僚19人のうち、15人がこの日本会議のメンバーだった。
このように、昨今の日本の「右傾化」はおよそ20年前に始まっているのだが、当時まだインターネットはそれほど普及していなかった。1995年にウィンドウズ95が発売され、一般人が加入できるプロバイダーが増えたことでインターネット時代が始まったわけだが、当時のネット空間はおおむねリベラルな雰囲気が主流だった。
右派の多くはネットを使っておらず、ネットニュース(BBSやSNS普及以前の掲示板システムのようなもの)は大学関係者や研究機関、それもどちらかというと理系が利用者のほとんどを占めていた。一般人がネット上でできることといえば、「HP」という日本独自の略語で呼ばれる「ホームページ」すなわち自分のサイトをつくって、趣味の情報を発信するという程度のことだったのである。
その様相が一変したのは、完全匿名を実現した大規模な掲示板システムである2ちゃんねるが1999年にオープンしてからだ。この連載のタイトルが「15年」となっているのは、ネット右翼の思想史の起点を2ちゃんねるに設定しているからである。
それまでのインターネットは実名での利用が基本で、ハンドルを使う場合もIPアドレスやリモートホストどこかに表示されているのが普通だった。「ホームページ」のURLに含まれているユーザー名にfingerをかければ、本名や連絡先を簡単に知ることすらできたのである(fingerとは、ユーザー情報を表示するUNIXコマンド)。
当時のインターネット上では、権力の検閲からいかにユーザーの匿名性を守るかということがさかんに議論されていて、完全匿名でメールを送ることができるアノニマス・リメイラーや文書を暗号化してやりとりできるPGP暗号ソフトなどが開発されてきた。
これら暗号化を推進していた人々の多くはリベラルで、ときにアナーキスティックでさえあった。電子フロンティア財団(EFF)やフリーソフトウェア財団(FSF)を見てもわかるように、既存の法律が適用対象外であるネット空間において権力から市民的自由と民主主義を守るためにどうすればよいか、それが匿名技術や暗号技術あるいはコピー技術の開発と推進の目的であった。インターネットはグーテンベルクの活版印刷以来の大発明とされ、初めて民衆がメディアを手にしたユートピアだと考えられていた。