他方、アイスバケツが「断れない空気がある」「強制になっている」という批判もある。しかし、選択は個人に委ねられてるのにそのような空気が流れているのは「チャリティだから断りづらい」というよりも、いまの日本の“同調圧力の強さ”に問題があるのではないか。その証拠に“違和感表明ブーム”になっている現在は、違和感を表明した人のほうが喝采を受け、氷水をかぶった人のニュースは圧倒的に減ってしまった。
多くの人が「善」としていることに対して異を唱えることは難しい。最初に違和感を表明した武井は、かなり勇気がいったと思う。だが、その後に続いたお笑い芸人たちはどうだろう。世の中の常識に対して異を唱えるフリをしながら、実際は“違和感を抱いている人が多い”という「空気を読んで」「勝ち馬に乗って」発言しているだけではないのか。
この世界には、ALSのほかにもさまざまな難病がある。病気ではなく、貧困に苦しんでいる人もいる。東北の震災復興もままならず、広島では土砂災害も起こった。しかし、個人ができることは限られている。すべての人を救うことなど、できるわけではない。公的支援や公共の福祉であれば公平性や客観的に優先順位を考えなければばらないだろうが、個人の支援は、ひとりひとりができる範囲で考えればいい。大野氏は、このように述べている。
「病気と闘う子どもや、そのご家族と同じ痛みは共有できないし、「すべての人にすべてのこと」はできない。けれど、「誰かにほんの少しずつ」を積み重ねていくことはできる。――それが私に唯一できる精一杯だと思うのです」
どんな“いいこと”も、きっかけと戦略がなければ広まらない。アイスバケツも、ビル・ゲイツが氷水をかぶるための装置を自作したり、鬼龍院翔が(違和感を表明しながらも)墨汁をかぶるなど、“自分らしいやり方で”それぞれにアレンジを加えてきたからこそ、マンネリ化して飽きられることなく、世界のトピックとなった。もちろん、どのように自分が選択するかは自由である。だが、“いいこと”なら、ブームに躍ってもおおいに結構、なのではないだろうか。
(水井多賀子)
最終更新:2018.10.18 03:43