そうした男性目線の植え付けは、家庭や学校はもちろん、メディアを通しても行われている。その一例が、“かわいい女の子は王子様に見初められて幸せな結婚をする”という、子どものころから与えられる童話作品。「話が古典すぎるだろ」と思う人もいるかもしれないが、意外とこれをいまも内面化している女性は多いのだ。『お姫様とジェンダー ──アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』(若桑みどり/ちくま新書)は、「白雪姫」や「シンデレラ」、「人魚姫」といったプリンセスストーリーが、どのように女性の生き方や身体、心に“入り込んでしまう”かを、このように書いている。
《きれいになる。かわいくなる。素敵なドレスを着る。髪の毛をさらさらにする。くるくる巻くのもよい。ピンクは絶対だ。おめめをぱちぱちするのは効果的だ。でも自己主張は嫌われる。それはみな彼女が愛されるため、そして結婚とお金と地位を手に入れるため、つまりは幸福とは結婚とお金であり、そしてその幸福を手に入れるのは、彼女自身の身体の手入れによっているのだということを、それを彼女に教えるのである》
この強烈な外見至上主義は、いまもむかしも女性たちを苦しめてきた。もちろん、お姫様にふさわしい外見がもてなかった者の生きる道も、男性たちの手によって用意されてきた。それは“気立てのいい女”になることだ。自己主張せず、三歩後ろに下がり、男を立てて、気を配り、忍びがたきを忍ぶ……。これをいまふうの言葉に置き換えれば、コミュニケーション能力ということになるだろう。
実際、お姫様ならぬ“正統派アイドル”になることを諦めた指原は、“常識的太鼓持ち思考”が自分にはあるといい、「すごくあいさつをする」「すごく偉い人にはフランクに、ちょっと偉い人には丁寧に」などなど、高いコミュ力をもつことの大事さを説いている。
コミュ力によって“親しみやすいブス”という地位を自分のものにした──そう指原は思っているのかもしれないが、結局それは、男社会の手のひらの上で転がされているだけにすぎない。柴田氏がTwitterで指摘したように、「「コミュ力も愛想もなく、おじさんの太鼓持ちをすることもしないブスが、蔑まれることなく幸せに暮らせる世の中」の方がずっと良い。」のである。
そもそも、指原には大きな才能があるではないか。著書でも、紋切り型になっているAKBグループのコンサートに物足りなさを感じ、HKT48のライブでは他グループとは異なる演出、セットリストを指原自身が考案していることが書かれているが、これは指原がアイドルヲタだからこそ成し得るファンの気持ちに寄り添ったものだ。さらに、指原がプロデュースした12年の『第1回ゆび祭り〜アイドル臨時集会〜』などは、いちアイドルの掛け声で事務所の枠を超えたアイドルグループが一堂に会した歴史的なイベントとして語り継がれている。
“ゲロブス”なんていじめに等しい下劣な言葉を面白がる下卑た大人にプロデュースされなくても、指原はその才能を武器に、堂々と胸を張ればいいのだ。芸能界という男社会のなかで、おじさん的思考を掻き回す、そんな新しいアイドル像を見せつけほしいと思う。
(田岡 尼)
最終更新:2018.10.18 03:17