もちろん、解散理由にはさらなる深い問題も絡んでいたようだ。安藤氏が『封印作品の闇』でテーマにしているのは2人の解散理由ではなく、2人の合作となっている『オバケのQ太郎』が絶版状態で復刊されない理由なのだが、その封印の真相を、小学館の元幹部はこのように証言している。
「藤本先生の側の許可がどうしても出ない。未亡人の藤本正子さんの許可が下りないんだ」
「これは私の推測だが、安孫子先生のお姉さんで藤子スタジオ社長の松野喜多枝さんと、交渉したくないというのも、あったんだと思う。二人の間には、藤子不二雄がコンビを解消したときからの因縁があるんだ」
「(コンビ解消の理由は)松野さんの存在が大きかったはずだ。彼女が藤子スタジオのマネージャーになったのは、『ドラえもん』の連載の途中からだったと記憶している。それまでは、藤本先生とも安孫子先生とも、直接打ち合わせできていたが、その後は必ず松野さんを通さないとできなくなった。(中略)松野さんが自分の弟である安孫子先生に、スタジオの軸足を移そうとしたのかはわからないが、スタジオ内でのパワーバランスが崩れてきたような話は聞いたことがある」(同書より)
この合作『オバQ』は、09年に発刊された『藤子・F・不二雄大全集』に収録され、20年以上にわたる封印が解かれた。よって、封印の理由と見られていた“家族同士の問題”はすでに解決したということなのかもしれない。だが、収入格差による家族同士のトラブルを懸念し、長年のコンビを解消していたとなれば、その原因をつくったのは『ドラえもん』だということにもなるだろう。
とはいえ、忘れてはいけないのは、『ドラえもん』は藤子氏と安孫子氏の友情があったからこそ誕生したということだ。安藤氏が「目頭が熱くなってしまった」という、2人の過去のやりとりを引用しよう。
安孫子「そういえば、ぼくらの漫画は、主人公二人っていうのが多いな。」
藤本 「『ドラえもんとのび太』『オバQと正ちゃん』……」
安孫子「やっぱり、何でも打ち明けられて、信頼し合えるっていう友だち関係は、すごく好きだなぁ。」
藤本 「ぼくたち同士、なが年の友だちだし、そういったことが自然に作品に反映されるのかもしれないね。」
安孫子「ジャイアンみたいないじめっ子だって友だちなんだというのっていいなあ、やっぱり。」
藤本 「これからも二人で一人、仲良く描き続けていきたいね。」
安孫子「楽しい漫画を力いっぱいいっしょうけんめい描こう!」
(『コロコロデラックス1 ドラえもん 藤子不二雄の世界』小学館/1978年)
──『ドラえもん』が不朽の名作となり得た裏側には、こうした藤本氏と安孫子氏の“唯一無二の輝かしい友情”がある。実際、安孫子氏は雑誌のインタビューで「(収入の問題で)トラブルは一切ありませんでした。(中略)二人とも漫画を描くことが大好きで、そのまま漫画家になった、という感じでプロの意識がなかった」(「アサヒ芸能」02年9月5日号)と答えているように、藤本氏と安孫子氏の2人のあいだでは“二人で一人、仲良く描き続けて”いただけなのだ。結果として家族を配慮する気持ちから解散してしまったと思われる2人だが、大人になってもこのような美しい関係を築けるとは、なんという奇跡だろう。
藤子・F・不二雄生誕80周年記念として製作され、現在大ヒット中の映画『STAND BY ME ドラえもん』。ぜひこの機会に、『ドラえもん』裏ヒストリーともいえる2人の物語を触れてみてほしい。そこには、映画にも負けず劣らずの感動が待っているはずだ。
(水井多賀子)
最終更新:2018.10.18 04:24