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ヒトラーの演説術を言語学者が分析 実は途中から飽きられていた!

 デヴリエントというその指導役の歌手は、初対面時にヒトラーの演説を聴き、さっそくその問題点を見抜く。ヒトラーは1時間も演説すると、汗びっしょりで息も絶え絶え、それでも無理をして発声するので、声がしわがれてしまった。そのうえ《急速に声が弱まるのを大げさなジェスチャーでカバーしようとすることで、「田舎芝居」になる》。後日、本格的にレッスンに入ると、デヴリエントはまず、力を振り絞らずに行なうのが正しい発声法であることを教えた。一所懸命に発声練習に取り組んだ甲斐あって、レッスン1回目にして呼吸法は改善され、声量も増えたという。

 その後のレッスンでもデヴリエントは、「感情語」をきちんと感情を込めて発音すること、またヒトラーのジェスチャーは自己的で、これでは聴衆に媚びるだけだと鋭く指摘した。ジェスチャーについては、《むやみに手を振り回したり、揺すったり、指さししたり、振ったりするのはもうやめるべきで、ジェスチャーは意味を明確にするものでないといけないという説明がなされた》。先にとりあげた1933年2月の演説に、こうした指導内容が生かされていることはいうまでもない。

 もっとも、政権獲得直前にこのような指導を受けたとはいえ、ヒトラーが少年時代から演説を得意とし、その才能によって世に出てきたことはまぎれもない事実だ。本書によると、演説文の構成と表現法に関していえば、ヒトラーの演説は、遅くとも1925年頃(年齢でいえば36歳ぐらい)には完成の域に達していたという。

 もともとの演説力に加え、当時開発されたばかりのマイクやラウドスピーカーといった装置を用いることで、ヒトラーの演説は、聴衆に対し大きな到達力と深い浸透力を獲得する。さらに、短時間のうちに多くの場所での遊説を可能とした飛行機、またラジオや映画と、当時の新しいテクノロジーを駆使することで、ヒトラーは政権をとってからもそのカリスマ性をますます高めていった。

 だが、それにもかかわらずヒトラーの演説は、政権獲得の1年半後にはすでにドイツ国民に飽きられ始めていたというから意外だ。ラジオを例にあげれば、すべてのラジオ所有者は、同居者全員にヒトラーの演説を聴かせることが義務づけられ、聴けない場合はその理由を指定の用紙に記入せねばならなかったという。こうして見ると、反発を招いたのは無理もない。

 やがて1939年にはドイツ軍のポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発、時間を追うごとにドイツが劣勢になるうち、ヒトラーの演説は説得力を失うばかりか、彼自身が演説をする気をなくしてしまうのだった。ヒトラーは失意のなか、1945年4月、連合国軍によるベルリン陥落直前、自ら命を絶つことになる。

《国民を鼓舞できないヒトラー演説、国民が異議を挟むヒトラー演説、そしてヒトラー自身がやる気をなくしたヒトラー演説。このようなヒトラー演説の真実が、われわれの持っているヒトラー演説のイメージと矛盾するとすれば、それはヒトラーをカリスマとして描くナチスドイツのプロパガンダに、八〇年以上も経った今なおわれわれが惑わされている証であろう》

 これは本書のエピローグにおける一文だ。ヒトラーに権力を与えたドイツ国民はプロパガンダに惑わされたのだと批判することはたやすい。しかしその批判こそが、ヒトラーのプロパガンダへの過大な評価を前提としているともいえる。だとすれば、あの時代のドイツ国民もいまの私たちもそんなに変わりはないだろう。せいぜい、政治家の巧みな弁舌に惑わされないよう、日頃から気をつけなければ。
(近藤正高)

最終更新:2014.08.15 06:45

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