しかし今回ばかりは、レベルが違う。敵国を“支那”と限定して“戦争して勝つ” とはっきり口にしたということも驚きだが、この発言によって、石原が2年前に仕掛けた行動の動機が明らかになったといえるからだ。
周知のように、日中関係がここまで悪化したきっかけは、2012年の日本政府による尖閣諸島国有化だが、この政府の動きをひきずりだしたのは、当時の都知事・石原慎太郎だった。その数ヶ月前に石原が突如、尖閣を都で購入する事を発表したため、当時の民主党政権と外務省が日中の紛争になることおそれて国有化を行ったのだ。
いわば、石原こそが日中関係悪化の仕掛人なのだが、当時、石原の行動の動機は尖閣という領土を中国に侵犯されないために、動きの鈍い国のかわりに立ち上がった、ということになっていた。だが、「いちばんの野望は支那(中国)と戦争して勝つこと」という今回の発言を聞くと、それは逆だったのではないかと思えてくる。石原はとにかく中国との戦争がしたくてしようがなかった。そのきっかけをつくるために尖閣諸島を購入しようとした──。
実際、日経新聞電子版で連載された「検証・尖閣国有化(3)」(13年3月27日)には、尖閣諸島問題をめぐって石原が当時の野田首相に対して、戦争の覚悟を迫る言動をしていたことが記されている。
「2012年8月19日、うだるような熱波に見舞われた盛夏にあって、この日は珍しく朝から雨模様だった。
その夜、首相の野田佳彦は首相公邸の執務室に密かに東京都知事の石原慎太郎を招き入れ、頂上会談に臨んだ」
「(この席で)石原が野田に対して、『中国と戦争になってもやむを得ない』という趣旨の強硬論を展開した」
「内輪の会合では、石原さんは『中国と戦争になっても仕方ない。経済より領土だろう』と言っていた。『戦争をやっても負けない』とも言っていた。米専門家の分析として、海空戦力であれば、自衛隊は人民解放軍を凌駕しているという趣旨の話を再三していた。『通常戦争なら、日本は勝てる』という趣旨だった」(首相補佐官の長島昭久の回想)。
いったいなぜ、石原はここまで中国と戦争をしたいのか。実は石原の過去の発言をチェックしてみると、領土問題以前に、とにかく中国人を差別し、中国に異常な敵愾心を燃やしている事がよくわかる。たとえば、中国が有人人工衛星を打ち上げた時の発言などは典型だろう。このとき、石原は聞かれてもないのにこの話題を持ち出し、「中国人は無知だから『アイヤー』と喜んでいる。あんなものは時代遅れ。日本がやろうと思ったら1年でできる」とはきすてたのだ。